高裁、異例判断「取り調べ検事が被告に」の根本問題 「プレサンス事件」が迫る捜査手法の転換

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

しかし、憲法は黙秘権を権利として保障している。憲法が保障しているという意味は、法律によっても黙秘権を廃止したりすることは許されないという点にある。黙秘権には極めて強い保障が与えられているのである。

この理由はいろいろあるが、端的にいって、それは歴史的にみて「黙秘権がないと公平な刑事手続が行われないから」という点にあると筆者は考えている。

素朴に考えても、例えば、日常生活において何かミスをして誰かからきつく叱られたとき「どうしてこんなことをしたの!! 理由を言いなさい!!」などと何か言うことを強く要求される場面を思い浮かべてもいいかもしれない。

このような場面では、何を話しても相手の逆鱗に触れる可能性が高く、何を言っていいのかわからない事態に陥ることも少なくない。そういうときにもし黙秘権が権利として保障されていれば「黙っていること」「何も言わないこと」を正当化してくれることになる。

とにもかくにも権利として保障されている以上、話さなくていいのだ。これは、このような何か発言を求められ追及されている立場の人間にとっては救いとなる。

供述調書には話したことがそのまま記載されない

取り調べの場面での黙秘権の意義を考えてみると、まず大前提として警察や検察での取り調べでは被疑者が話をしたことがそのまま供述調書には記載されないということを忘れてはならない。

警察官や検察官は、長時間かけて被疑者から話を聞き出すが、刑事裁判で証拠になる供述調書には取調官が必要と思われる事項だけが記載される。

もちろん、実際に取調室の中で行われるやりとりは話題があちこちに飛んだり、供述自体がまとまりのないものであったりすることがほとんどなので、話したことがそのまま調書に記載されなくても要領よく事実関係がまとまっていれば、記載内容に誤りがないかぎり、特段問題はないともいえる。

しかし、冤罪事件などで問題となる供述調書は、本人が言ってもいない虚偽の事実が平然と記載されていたり、本人が供述したのとは異なるニュアンスの表現に書き換えられたりしていることが多い。

次ページ供述調書は「作文」?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事