高裁、異例判断「取り調べ検事が被告に」の根本問題 「プレサンス事件」が迫る捜査手法の転換

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よく供述調書は捜査官による「作文」であると批判されることがあるが、これは誇張でもなんでもなく、実際に取り調べの現場で行われている供述調書が作られる実態を知る者にとっては、もはや常識といってもよい事実である。

このような供述調書作成の実態を知れば、取り調べにおいて供述をすることには被疑者・被告人にとっては何のメリットもないことがわかる。

犯罪をしてもいないのに逮捕されてしまった場合は、やってもいない犯罪について虚偽の自白調書が作成されてしまうリスクが高まることになるし、実際に犯罪をしてしまった場合であっても、話したことがそのまま供述調書に記載されることはなく必要以上に悪く書かれてしまう危険がある(取り調べの場で反省、謝罪を示すことができなくなると心配する人もいるが、反省や謝罪は取り調べでする必要はなく、それ以外の場でも反省、謝罪をすることは可能である)。

取り調べは本来拒否してもかまわない

弁護士や学者の間では常識的な話ではあるが、一般にはあまり知られていないし、現実の捜査現場でも無視されている考え方がある。それは、

「憲法、法律に照らせば、取り調べは本来拒否してもかまわない」

という考え方だ。これは専門的には「取調受忍義務否定論」と呼ばれているものだが、前述した黙秘権の考え方に照らせば、むしろ、自然な考え方であるともいえる。

黙秘権というのは取り調べに対して終始黙っていてもいい権利であり、発言をすることを強いられない権利なのだから、最初から一貫して「私は黙秘権を行使する。取り調べに対しては一切の供述をしません」と宣言している被疑者に対して供述を強制することは許されない。

そうであれば、黙秘権を行使している被疑者を取調室に連れて行き、長時間にわたって質問攻めにすることは、黙秘権を保障した意味を無にするものではないかという疑問が出てくる。

黙秘権が保障されている以上、逮捕勾留された被疑者が取調室に連行されて取り調べを受け続けることを法的に強制すること(=取調受忍義務を課すこと)は許されないのではないかと取調受忍義務否定論は考えるのである。

この取調受忍義務否定論は、弁護士や学者の間では根強く支持されている見解であるが、現実の警察、検察の捜査実務では、これとは真逆の取調受忍義務肯定説という考え方が確立している。

一般の方々の多くも、犯罪が発生して容疑者(被疑者)が逮捕されたら当然に警察による厳しい追及、取り調べが行われるものと期待しているだろうし、被疑者が黙秘権を理由に取り調べを拒否することなどありえないと思っているであろう。

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