桜井氏の死闘ぶりは本を読んでいただくとして、まさに壮絶無比です。河川の大工事では、無事を祈願して人柱を立てるそうですが、それに例えて家系改造の人柱になろうとしました。理科の勉強で二酸化マンガンに過酸化水素を加えると、世界中で一番必要とされる酸素と水になることを学びます。
触媒の二酸化マンガンは無名のままだが、それでもいい。娘がエリートになるために、自分は二酸化マンガンになろうとしました。「中卒にも、使い道があるじゃないか」「私は触媒になる」。父親の家系改造計画への執念が、実ったとみるべきでしょうか。
「桜蔭に合格するためなら、頑張る」
この場合の人柱や触媒がいくら立派でも、それはあくまでわき役です。主役の佳織さんがとても努力型で素直だったのも、成功(桜蔭は失敗しましたが、この受験勉強は間違いなく成功です)の原動力でした。1日7時間から13時間の親子勉強でしたが、「注意力が弱く忘れっぽい性格」の佳織さんに、結果はなかなか出ません。
しかし、彼女はめったにめげないのです。親から見て馬鹿に見えるほど、9割の誤答率が続いても、あきらめるという発想がない子供さんでした。父親が途方にくれても、彼女は「桜蔭に合格するためなら、頑張る」と、黙々と努力を続けました。それでも父娘で絶望しかけるときがあります。そんなときは、「父さんはあきらめるわけにはいかない。おまえが安い給料の旦那さんと、日々ケンカしながら洗濯している姿が目に浮かぶと、あきらめられない」と、涙して伝えます。まさに二人三脚の受験でした。
氏は、「娘を今しかってでも、たたいてでも、将来、笑顔で暮らす娘を見たい。でも、こんなにかわいい娘に、そんなことできない。だから頼むしかない。あきらめずに頑張ろうと頼むしかない」、そのようなことを素直に佳織さんに伝えています。その時佳織さんは返事をしなくとも、翌日からはまた、頑張ったのだそうです。中卒の父親が作った最難関校への受験作戦を信じて、睡魔と闘いながら頑張った佳織さんを動かしたものは、何だったでしょう。
それは寿命が20年縮まってもよいと覚悟して、精神安定剤漬けになりながらも(この事実を、佳織さんは知りません)、自分を中卒の家系から抜け出させようとした、父親の強い熱意と愛情だと思います。
受験勉強中は一切の冠婚葬祭も辞し、さほど賢くない子が父親と毎日勉強する家族は、学校からも町内からも仲間外れの対象でした。佳織さんの母親さえ、終始否定的でした。そんな環境での1年5カ月の間、1日も休みのない受験勉強でした。受験のプロに頼らなかった故のミスも、直前になって露呈し、焦りました。それでも受験前日、佳織さんは最後の問題を解き終えると机に突っ伏し、顔を上げると、「結構、楽しかったね」と言ったのです。
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