「臨月で被災」「分娩中に余震」「出産難民」の壮絶談 妊娠・出産中に被災した人の体験談から学ぶ

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さらに、探さなくてはならなかったのは家だけではありません。出産する病院も見つけなくてはなりませんでした。夫がいない中、一人で不安になったのですが「私が笑顔でいなければ、息子も生まれてくる子どもも落ち込むに違いない」と自分を奮い立たせました。ネガティブな気持ちが顔を出す度に、息子の顔を見ながら、お腹をさすりながら、頑張りました。

ネット検索で病院を探し、口コミなどを参考にして候補を絞り、問い合わせたのですが、病院の窓口の人からは、「半年先まで出産の予約は受け付けられない」と言われました。

親身になってくれたのは…

保健所に相談すると、東日本大震災で避難してきていることを伝えるように言われました。改めて病院に「被災者で出産難民になっている」と伝えると、電話口に医師が出てくれて、出産させてもらえることになりました。震災から1カ月半が経っていました。

それから1カ月後、無事に男児を出産。2回目の出産でしたが、震災によってすべての予定が狂ってしまい、戸惑いの多い出産でした。

夫婦と赤ちゃんのイラスト
(画像:『全災害対応!最新子連れ防災BOOK』より)
『全災害対応!最新子連れ防災BOOK ーー被災ママパパ1648人と作りました 』書影
『全災害対応!最新子連れ防災BOOK ーー被災ママパパ1648人と作りました 』(祥伝社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

出産難民になったときは本当に不安でしたが、受け入れてくれた病院には感謝の気持ちでいっぱいです。親身になって話を聞いてくれた保健所の人、私たちを迎え入れてくれた親戚など、人の温かさをたくさん感じた数カ月でした。

生活が落ち着いてから、防災についても前向きに取り組むようになりました。あのとき、助かった命と生まれてきてくれた命を大切にしながら、頑張って生きていこうと思っています。

冨川 万美 特定非営利活動法人ママプラグ・アクティブ防災事業代表

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とみかわ まみ / Mami Tomikawa

青山学院大学卒業後、大手旅行会社、PR会社を経て、フリーランスに転向。東日本大震災の支援活動を機にNPO法人ママプラグの設立に携わる。子育ての当事者が自ら学び、自ら考え、自ら動く「アクティブ防災」を提唱し、防災講座、ファシリテーターの育成を行いながら、「東京防災」監修など、官公庁や自治体の防災対策への協力や、書籍、雑誌などで監修を務める。

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