「臨月で被災」「分娩中に余震」「出産難民」の壮絶談 妊娠・出産中に被災した人の体験談から学ぶ
東日本大震災に臨月で被災
出産を控えていた私は、漁港のすぐそばにある実家で過ごしていました。突然の地震で慌てる私たちに、海の怖さをよく知る元漁師の祖父が「急いで逃げるぞ」と言い、すぐに車で高台の小学校へ避難しました。
私の実家から離れた場所で働いていた夫の安否はわかりません。「海から離れた場所にいるはずだから大丈夫」と信じることしかできませんでした。
翌日、明け方に私と母は流された自宅を見に行きました。高台から見下ろした私の故郷は跡形もなく流されていました。実家があった場所には、大きな漁船があり、戻る場所はもうないのだと実感し、避難所である小学校へ戻りました。避難所には夫がいて、無事再会。
通勤路が通行止めで帰宅できずに、会社の駐車場で一晩過ごしたようですが「車でまともに通れないほど道路の状態がひどく、途中でたくさんの遺体を目にした」と言っていました。



















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