また、株価自体の変動が、企業の提供する価値を表しているわけではありません。株が暴落すると、「莫大な富が失われた」という表現が使われますが、本当の意味では富は失われていません。
長期的に高めるべきなのは「値段」ではなく「価値」
資産価格の変動に振り回されないように、小説『きみのお金は誰のため』の中でも、長期的に増やすべき「価値」について、先生役の「ボス」が1990年のバブル崩壊を例に説明しています。
「アフリカの話を聞いていると、生産力やインフラの蓄積など、実体あるものが生活を豊かにしているとよくわかります。ですが、日本にいると、土地や株の価格が暴落したときにも、『莫大な富が失われた』と言いますよね。こうした値段の蓄積も大事なのでしょうか?」
「グッドポイントや」
ボスが体を起こして、人差し指を立てる。
「生活の豊かさは、一人ひとりにとっての価値の話や。価値と値段は、区別せんとあかん。たとえば、そのどら焼きにはどれくらいの価値があると思う?」
優斗はすかさず答えた。
「1個200円でしたよ。っていうか、さっきボスからお金もらうときに、話しましたよね。1個250円のどら焼きを、おばちゃんが200円にまけてくれたって」
ボスが笑いながら否定する。
「それは値段の話やな。どら焼きを売るお店にとっては、間違いなく200円の価値がある。そのお金が手に入るからや。ところが、優斗くんは売る人やなくて食べる人や。君がどら焼きを食べて手に入れたのは幸せや。それが価値や」
(中略)
「同じように、土地の価値は、生活の快適さ次第ということですね。水道や道路などのインフラが整って便利になることが大事で、土地の値段は関係ないということなのでしょうか?」
「みんなが便利やと思う土地は、みんなが欲しがるから結果的に値段は上がる。せやけど、その逆は成り立たへん。土地の値段だけ上がっても便利にならへんし、値段が下がったと言って、急に不便になるわけやない」
ボスは1990年のバブル崩壊を例に挙げた。2500兆円もあった日本の土地の総額が、5年後には1800兆円程度まで減少したそうだ。
戦争や災害でインフラがボロボロになったせいで値段が下がるなら問題だが、ただ値段が下がっただけでは、社会の蓄積が失われるわけではないらしい。このときは、みんなが不安になって不景気になったが、土地の住みやすさが損なわれたわけではないと説明してくれた。
(中略)
「お金に目がくらむと、その当たり前を忘れてしまうんや。土地だけやないで。株でもなんでも同じや。全体を考えれば、値段自体が上がることには大した意味はない。それよりも、未来の幸せにつながる社会の蓄積を増やすことのほうが重要や」
『きみのお金は誰のため』126ページより
投資がギャンブルにならないためには、企業の利益が増えることが必要だと書きましたが、この企業の利益は、将来の消費者が支払うものです。私たち消費者は、自分の生活が豊かになることに対してお金を支払います。
株などの投資は、個人のお金を増やすことが目的になりがちですが、会社の成長は将来の消費者である私たちの生活を向上してくれるものです。
社会全体を俯瞰して見ることで、投資というゲームの正体も見えてくるのではないでしょうか。
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田内 学
お金の向こう研究所代表・社会的金融教育家
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たうち・まなぶ / Manabu Tauchi
お金の向こう研究所代表・社会的金融教育家。2003年ゴールドマン・サックス証券入社。日本国債、円金利デリバティブなどの取引に従事。19年に退職後、執筆活動を始める。
著書に「読者が選ぶビジネス書グランプリ2024」総合グランプリとリベラルアーツ部門賞をダブル受賞した『きみのお金は誰のため』のほか、『お金のむこうに人がいる』、高校の社会科教科書『公共』(共著)などがある。
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