変質した「3中全会」にみる変わりゆく中国政治 中央委員会の地位低下や対台湾立法措置に注目

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表2は現在まで過去45年余りの間に開かれた計10回の3中全会についての主な成果だ。これによれば、改革開放政策の開始を告げたとされる史上もっとも有名な1978年の11期3中全会以来、2008年の17期3中全会までの30年間は、決議文書の表題や決定の要点にみられるとおり、3中全会の主題はたしかに経済政策と経済・社会改革であった。

改革開放以後の3中全会一覧

 

その経済・社会改革の重点についても、①(1980年代)農業と農村から工商業と都市への改革の拡大、②(1990年代)「社会主義市場経済」の確立、③(2000年代)都市と農村の均衡発展の強調、④(1990~2010年代)経済活動における市場の役割強化、といういくつかのポイントがみてとれる。

改革開放時代の3中全会路線からの離脱

一方、習近平氏が党総書記に就任してから初めて開かれた2013年の18期3中全会以降、決議文書の名称には、「経済」とそれに関係する単語が1つも含まれていない。素直に読めば、習近平指導部のもとで採択された3中全会の決議を、2000年代までの3中全会の成果と印象に基づいて解釈しようとするのは適切ではないだろう。

要するに、前例踏襲をよしとせず、自身が掲げる「新時代」を邁進する習近平は、3中全会の意義も変えてしまったのである。そう考えると、18期3中全会の「改革の全面深化」の決定の評価も見直しが必要である。「18・3決定」と「20・3決定」が、形式と内容の両面で直接的な関連があることは、決議文の名称からも一目瞭然である。

ただし私見によれば、「18・3決定」は、習近平氏と李克強氏のそれぞれに代表される2つの政治的要素の折衷の成果であり、同時に習近平氏の権力強化の過程における過渡期の産物であったと思われる。政治的意思の1つは、当時の李克強首相の主導のもと、それ以前の3中全会路線を踏襲し、経済と市場化に力点を置いた改革推進への意欲である(①)。いま1つは、そうした改革のあり方に異を唱え、3中全会の議題の範囲を軍事や安全保障まで含む多様な論点に拡大することで、「改革」の語が指示する政治的内実の変更――具体的には、経済の地位の相対的低下と経済活動に対する政府の役割強化――を目指す習近平の意思である(②)。

実際、②に関して、「20・3決定」と同じく、「18・3決定」も、政治、経済、社会、文化、軍事など複数の政策領域について、計60項目300件以上の内容が多岐にわたる改革事項を列挙していた。また、中国軍の内部資料によれば、習近平は、18・3決定の起草に際し、同文書のなかに国防と軍事改革の項目を書き込むことを、みずから提案したことを明らかにしている。

18期3中全会の決議文の構成を議論しているとき、わたしは国防と軍の改革に関する内容は、単独で1つの構成部分とすべきことを提案した。(2013年12月27日の発言、中央軍委政治工作部編『習近平論強軍興軍』解放軍出版社、2017年、191ページ)
18期3中全会は、国防と軍の改革の深化について特別な手配を行った。これは、わたしの意見である。わたしの考えは、国防と軍の改革は、われわれの改革の全面深化の重要な構成要素であり、改革の全面深化の重要な目玉でもある。改革の全面深化の大きな枠組みのなかに必ずや組み入れなければならないということであった。(2014年3月15日の発言、同上書、215ページ)

もっとも、2013年の18期3中全会の開催当時は、上記①のとおり、「リコノミクス」と呼ばれる李克強首相の重視する市場化と構造改革への期待感が大きかった。18・3決定でも「経済体制改革が改革の全面深化の重点」であり、資源配分における市場の「決定的役割」が謳われていた(表2)。

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