「反中」と「親中」の対立構造で理解されがちな台湾で、野党・国民党は「親中」の代表格とみられている。反共産主義政党だった国民党はなぜ「親中」と呼ばれるようになったのか。(台湾政治研究者・小笠原欣幸氏の連載第3回、前回記事はこちら、以下敬称略)
2024年1月に台湾総統選が行われる。すでに主要政党の候補者が出揃い、選挙戦が本格化している。それに合わせて日本メディアでも総統選挙に関する報道が増えてきた。
その報道の中では、台湾の最大野党である国民党に言及する際に「親中」や「対中融和路線」という説明書きを加えることが多い。中国との距離感が問題になっているので、「親中」「反中」という分類は確かにわかりやすい。
だが、国民党は現在中国を統治する中国共産党とは過去に激しく対立し、国共内戦のように戦火も交えた。その歴史を知っていれば、国民党が「親中」と呼ばれていることに疑問を持つ読者もいるであろう。
なにしろ、国民党を率いた蒋介石が支配していた時代の台湾では、仮に「中国大陸と対話すべきだ」と主張すれば確実に捕まり、処刑される可能性すらあったのだ。その国民党がなぜ「親中」と呼ばれるようになったのか。一見謎めいているが、経緯を見ていけばその答えははっきり出すことができる。
共産党に深い恨みがあった
20世紀初頭、中国では中国国民党(国民党の正式名称)と中国共産党という2つの近代政党が登場した。両党は対立と協力を繰り返し、第2次世界大戦後、人々を戦乱に巻き込んで戦った(国共内戦)。
1949年、毛沢東が率いる共産党が内戦に勝利し中華人民共和国を建国、敗れた蒋介石が率いる国民党は台湾に逃げ込み中華民国という国家を存続させた。国民党は、組織をズタズタにされ、多数の死傷者を出し、中国大陸を失ったので、共産党に対する恨みは非常に深かった。
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