トッププロの使用率9割、日本製ゴルフ道具が熱い 「電線のフジクラ」がシャフトを作り始めた理由

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開発を始めることになった経緯について、飯田氏は、「きっかけは、当時の松本重男会長が、アメリカでゴルフのカーボンシャフトを知り、自社でできないかと考えた」と話す。

松本会長のゴルフの腕前は相当なもので、アマチュアではあるものの実力はトップクラスだった。そんな背景もあり、自社製のシャフトを求めたようだ。

松本会長はさっそく世界で初めてカーボンシャフトを商品化したアメリカのALDILAに技術提携を申し込むが、断られてしまう。それでもあきらめず、自社の技術を生かし、開発・解析・評価・生産技術をイチから作り上げた。

原材料であるカーボンの購買先からの情報などをもとに、スチールシャフトにカーボンを巻くなど試行錯誤をしつつ、独自開発で技術を蓄積していく。そして、1974年に福島の原町工場にCS(カーボンシャフト)課を設けて生産を始め、同年5月にカーボンシャフト「Flyrun(フライラン)」を発売した。

記者会見の様子(写真:フジクラ提供)

「リシャフト」で知名度を上げる

当時、カーボンシャフトを製造していたのは、オリムピック釣具と日東電工、フジクラの3社で、フジクラは比較的小さなメーカー向けに販売を開始。1980年代に入りクラブのヘッドの素材がパーシモン(柿の木)からメタルに変わると、フジクラはアメリカのヘッドのメーカーにカーボンシャフトの供給を始めた。

フジクラがシャフトの知名度を上げたのは、「リシャフト」ともいえるだろう。

リシャフトとは、もともと付いているクラブからシャフトを外して、違うシャフトに交換することをいう。フジクラは、1995年に試打などができるゴルフクラブ相談室を東京・世田谷にオープン。当時は予約が半年先になるほど盛況だった。

ゴルフクラブ相談室(写真:フジクラ提供)
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