中央道・高井戸IC近く「ナゾのトンネル」何のため 歴史を紐解き見えてきた「団地との深い関係」

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さて、このように近い時期に団地と高速道路の計画や建設がなされたのであれば、相互に連携をとっており、住民も納得したうえで入居したと思うだろう。

しかし、現実はそうではなかった。烏山北住宅の入居は1966年2月開始。都市計画決定は同年7月。さらにいえば、事業決定は入居完了翌年の12月のことだった。

こうした経緯から、東京都住宅供給公社は入居者に対し、高速道路や都市計画道路の建設計画について十分な説明を行わなかったのである。

その問題が噴出したのが1970年7月のこと。日本道路公団が烏山北住宅内部の土地買収を完了し、工事にあたって説明会を行う段になってのことだった。この工事説明会とその工事内容は、入居時に説明を受けていなかった烏山北住宅の住民にとって、「寝耳に水」だったという。

説明会に出席した人数は多くなかったが、東京都住宅供給公社の説明がなかったことに対する不満、そして工事への懸念が団地内へ一気に広がる。そして、7月12日には「烏山北住宅道路対策協議会」(以下、烏山道対協)が組織され、団地の多くの住民が加盟する一大住民運動となったのであった。

住民運動の背景にあった環境意識の高まり

これほどまでに反発が起きたのには、東京都住宅供給公社の説明不足の他に、大きなポイントが2つあった。

1つは公害問題の顕在化による環境保護意識の高まりだ。1950年代にはイタイイタイ病や水俣病が話題となり、全国的に公害に対する意識が高まり、1967年には公害対策基本法、1968年には大気汚染防止法と騒音規制法が制定された。

また烏山道対協設立とほぼ時を同じくして、日本初の光化学スモッグ被害が杉並区の高校で発生しており、身近な問題として公害が捉えられ、高速道路開業による排出ガスや騒音の増加に対し強い懸念があった。

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