中央道・高井戸IC近く「ナゾのトンネル」何のため 歴史を紐解き見えてきた「団地との深い関係」

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北は東八道路、南は甲州街道まで帯状につながるこの住棟群は、いくつかの団地にわかれるが、シェルターの南北にあるのは東京都住宅公社が整備し、1966年2月に入居開始した「烏山北住宅」となっている。

烏山北住宅と隣接する烏山シェルター
烏山北住宅と隣接する烏山シェルター。かなり近接していることがわかる(筆者撮影)

そして、ちょうどほぼ烏山北住宅に隣接する部分にのみシェルターとなっている。

どうやら、団地とシェルターの間に何か関係性がありそうである。団地と高速道路、2つのインフラ施設の間にいったい何があり、なぜシェルターが作られたのだろうか。

コミュニケーション不足から起きた住民運動

中央自動車道と烏山北住宅は近い時期に計画・建設がされた。

先にこの地に建設されたのは烏山北住宅で、第2次世界大戦後に生じた深刻な住宅難を解決すべく整備された住宅団地の1つだ。

1963年から東京都住宅公社(東京都住宅供給公社の前身のひとつ)により建設が進められ、東京都住宅供給公社が発足した翌年の1966年2月に入居がはじまり、翌年10月までに入居が完了した。

このとき、団地内の中央を東西に通るように細長い土地が取られていた。これが中央自動車道の建設予定地だった。

中央自動車道は1962年に東京~富士吉田間建設の施行命令が出されると、先に調布インターチェンジ以西から開業。1967年末から1969年にかけて調布インターチェンジ~河口湖インターチェンジ間が順次開通した。

そして、高井戸インターチェンジ~調布インターチェンジ間は1966年7月に都市計画決定がなされ、烏山北住宅内を中央自動車道と側道として都市計画道路が通ることが正式に決定。そして事業決定は1968年12月に行われた。

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