相手のちょっとした言動がきっかけで、急に不信感が芽生えることがある。わかりあえていたつもりが、いきなりわかりあえなくなったように感じるのだ。
前に「相手のそばの食べ方が気に入らない」と言って、婚約を解消した有名人がいた。もちろん真相は知らないが、決別のきっかけとしては理解できる話である。おそらく「そばの食べ方」に象徴される「何か」があったのだろう。
個人の倫理観にかかわる言動となると、不信感はさらに募る。たとえば、「わたし」は被災地に義援金を送ったのに、「あなた」は送る必要はないと言う。なんて冷たい人だろう。人として許せない──。
「人として」という差別的な言葉が出てくると、「わたし」と「あなた」の距離は絶望的に広がってしまう。ついに「あなた」は「あなた」ではなくなる。わかりあえない、いや、わかりあいたくもない「やつら」の一員になってしまうのだ。
わかりあえないまま対話的に協働する方法
ヨーロッパの小国、仮にA国としておこう。そこに長く住んでいた友人の話である。友人は日本に帰国するに当たり、現地で飼っていた猫も連れて帰ることにした。そのことを、軽い気持ちでA国人の同僚に話したところ、同僚は口を極めて友人を非難したという。
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