インドの最南端から最北端を目指す壮大な縦断の旅。
ピンバレー国立公園へのトレッキングの途中、山の天候が急変し、
やがて、
ヒマラヤ奥地「中国との国境至近の村」
ムド村で数日を過ごした後、再び移動を開始し、アルタゴ橋の交差点でバスが来るのを待っていた。しかし、スピティ谷を走る唯一の一本道には、バスどころか1台の車も見当たらない。
すでに1時間以上待ち続けていた。俺とカナさんはヒマラヤをピンバレーよりさらに奥地に進み、ナコという、中国との国境ギリギリに位置する村に向かうことにした。
せっかくスピティ(チベット語で「中間の地」という意味)に来たのだから、その名前に一番ふさわしい場所に行ってみたいと話し合って決めたのだ。
バス停には、俺たちの他に、20代くらいのチベット人女性が2人と小さな子ども、小豆色の服を全身にまとった50代くらいの女性、グレーのパーカーにチノパンをはいたインド人風の男がのんびりとした表情でバスの到着を待っていた。
バス停には時刻表が見当たらない。だが、これだけの人々が待っているのだから、バスはいつか来るだろう。インド縦断旅で感染した“間抜けすぎるほどの楽観主義”という病は、すでに全身に蔓延していた。
「世界一時間に厳しい日本社会に戻ったとき、この病から回復できるだろうか?」
そんな思いに耽りながら、ぼんやりとスピティ川の流れを眺めていた。
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