吉野家が買収「ラーメンの食材会社」圧倒的な凄さ 麺からタレまで、国内外1600のラーメン店に供給

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創業者の井上廣さんはもともと料理人だった。北海道で食べた札幌味噌ラーメンに魅せられ、これを京都で出したら面白いのではないかと考えた。いざ試作しようとしたが、京都の製麺所に札幌系の卵麺がなかったのである。

製麺所にないなら自分で作るしかないと、札幌の西山製麺に基礎を教わり、独自の麺を作り上げた。この麺が好評で、他のお店からも声がかかるようになったのが製麺所を作るきっかけだった。こうして1970年、宝産業が誕生した。

あまりに反響が大きく、1983年、京都の伏見に工場を構えて本格稼働することになった。当時は「どさん子」の大ブームで札幌味噌ラーメンがフォーカスされていた時期で、口コミで広がっていった。

しかし、宝産業は新興で業界に殴り込みをかけた形だったので、各方面から圧力がかかった。しまいには小麦粉が手に入らなくなってしまったという。

北海道の西山製麺に再び相談すると、小麦粉を分けてくれることになった。みんなで製麺業界を大きくしていこうという西山製麺の心温まるエピソードである。

宝産業
今ではスープ、タレなど幅広い商材を製造するが、最初は製麺の会社だった(筆者撮影)

一方、京都では低加水の白い麺が主流だったこともあり、これを2つ目の麺として完成させた。その頃、屋台で人気な「金ちゃんラーメン」というお店から相談が入る。

屋台が狭すぎてスープが炊けないので、宝産業の空いているスペースでスープを炊いてくれないかという依頼だった。人気の「金ちゃんラーメン」のスープは宝産業で作っているらしいと一気に噂は広がっていった。

ラーメン店の開業支援、海外に工場も

創業者の息子で現・副社長の井上光昌さんはラーメンの食べ歩きが趣味で、自作のホームページを作っていた。

このホームページで「ラーメン店の開業支援をします」という打ち出しをした。スープ・麺・タレを作って、お店の開業の手伝いをしますという内容だった。ホームページが人気だったこともあり、京都・大阪、そして関東からも声がかかるようになる。

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