古川:たとえば、講演の結論部分では、はっきりとこう述べています。
どこが「閉鎖的な文化特殊主義」なんでしょうか。どう読んだって、むしろそれを戒めているとしか読めません。
そして、実はこれこそ、自文化の独自性・特殊性を自覚しつつ、他文化との相互了解という「不可能な可能性」を「無窮」(=永久)に追求するという、「いき」の態度そのものを表現してもいるわけです。以上、ひとまず従来の九鬼に対する誤解と、それへの私の反論について説明させていただきました。
なぜ九鬼は「いき」にこだわったのか
中野:ありがとうございます。私は九鬼について詳しく研究したわけではないので、いい加減なことを言ってしまうかもしれませんが、日本の文化的伝統と言ったら、「わび」とか「さび」を主題にしそうですが、なぜ九鬼は「いき」にこだわったのでしょうか? どこかの記事で、「いき」というのは、日本語で生きるの「生き」と関係しているのだと読んだことはありますが。
古川:そうですね。生きるの「生き」と、呼吸の「息」。あとは意気地とか、意気に感じるの「意気」。行ったり来たりの「行き」もありますね。これらは全部、語源が同じである。だから、「いき」とは「生き方」であり、人生の「行き方」であると九鬼は言っています。