中野:いろいろと意味はありますが、通約不可能性のことをとりあえず無視して、「いき」という言葉をあえて英訳すると「Life」ですよね。つまり「生」。現象学を学んだ人が「生」をテーマにするというのは、何も不思議なことではない。「Life」を現象学で研究しているときに、それを日本語でどう表現するのか、そして、ハイデガーの影響も受けて、語源学にも関心をもった結果、「Life」を「いき」と結びつけるに至った、という仮説もありえそうです。
母への思いと西洋との対峙
古川:言われてみれば、まったくおっしゃるとおりですね。しかし、九鬼研究ではその点に言及されることはあまりありません。なぜ九鬼が「いき」にこだわったのかについては、諸説あります。
いちばん有力で、ほぼ間違いないのは、彼の母親に対する個人的な思いです。少しだけ説明すると、九鬼の母親の波津(はつ)という女性は、芸者出身だったと言われています。一方、父親は文部官僚の九鬼隆一。現在の重要文化財保護法に当たる古社寺保存法の制定などを主導した人として有名で、岡倉天心のパトロンでもありました。
ところが、波津さんと岡倉がいわゆる不倫の関係になってしまいます。波津さんは隆一と離婚し、さらに最終的には岡倉からも見捨てられて、孤独のうちに心を患って精神科病棟で亡くなりました。九鬼は少年時代に、その母の姿を目の当たりにしていて、それがずっとトラウマのようになっていました。ですから、江戸の芸者の美意識である「いき」を論じるとき、九鬼は常にお母さんのことを思っていたんです。
たとえば、『「いき」の構造』のなかで、江戸時代に最も「いき」な色とされたのは「白茶色」だと述べていますが、その草稿をヨーロッパで書いていた頃、彼は「母うえのめでたまひつる白茶色 はやりと聞くも憎からぬかな」という短歌を詠んでいます。なんだかちょっと涙を誘いますね。
しかし、それと同時に、私が今回、久しぶりに九鬼の論考を読み返してみて思ったのは、「いき」というのは、日本人の「西洋」というものに対する向き合い方を問題にしていたのではないかということです。
「いき」とは、自己と異性、広くは他者一般との関係のあり方です。九鬼が言うには、それは「媚態」「諦め」「意気地」の3つの契機から成り立ちます。「媚態」は、相手と一体になりたいと思って媚びを売ること。それによって相手を引き付け、相手との距離を縮めることです。他方、「諦め」は、逆に、どうしても相手と一体にはなれないということ、どこまでいっても自分は自分で人は人ということを深く自覚すること。「意気地」は、いわば「俺は俺だ」と意地を張って相手をはね付けることです。「媚態」によって相手との距離を縮めつつ、「諦め」と「意気地」によって、逆に相手との距離を保ち、個としてあり続けようとするわけです。