『フィールド・オブ・ドリームス』と「荒川道場」
施:中野さんがおっしゃるように、ユニバーサリズムでは抽象的な概念を個別に解釈することを認めるのに対し、グローバリズムは個別的な解釈を一律にならす、という違いがあると思います。私もその2つの使い分けが必要ではないかと考えます。
ただ、どうしても人間は傲慢だから、自分の解釈が正しいし普遍的だと考えて、ユニバーサルな世界のあり方を許容しがたい。だからこそ、人間は完全じゃないし、人間の認識は有限であることを常に意識しないといけない。古川さんがおっしゃっていた諦めの境地というか、そういうものが必要だと思うんですよね。
抽象的な話が続いていますが、具体的な例として、最近の大谷選手の活躍が挙げられます。彼の存在は、アメリカ生まれのベースボールを、アメリカ人からするとわれわれ日本人が、いかに、かなり誤解したうえで自分の国に導入したかを示していると思うんですよね。
つまりベースボールは、アメリカ人にとっては競技のルールだけでなく、仲間や家族の絆、少年時代の思い出といった、まさしく映画の『フィールド・オブ・ドリームス』みたいな文化的背景も意味しています。一方で、日本の野球では、われわれは王貞治に夢中になった世代ですが、彼は一本足打法を生みだすために、荒川道場で日本刀で素振りをしていましたよね。
古川:それで畳が擦り切れて、手は血豆だらけになり、最後に天井からぶら下げた紙がスパっと切れたときに、一本足打法に「開眼」したと。まるで柳生宗厳が無刀取りに「開眼」したような語り口ですよね(笑)。
施:それもそうですし、高校野球の甲子園を見ていてもそうですけど、日本人って野球を一種の武道みたいな感じで、ある種の誤解をして取り入れているんですよね。
古川:実際、「野球道」という言い方をしますしね。「侍ジャパン」もそうです。