「ソクラテスの毒杯」から西洋哲学が始まった理由 グローバリズム批判は「高貴ないきがり」である

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:ええ。侍ジャパン、一球入魂のようなものですよね。野球は、日本の武道の伝統を下敷きにベースボールを取り入れたものだと言えるのではないでしょうか。イチロー選手や大谷選手もそのような環境で育ったのでしょうが、彼らがアメリカでベースボールの世界に入り、同じルールのもとでプレーする中で、アメリカ人が思わなかったような解釈を持ち込んでいると思います。例えば、武道の伝統に端を発するような体の使い方などです。それが、「こうやるべきなのか」とアメリカの野球界に衝撃を与えてきたのではないでしょうか。

施 光恒(せ てるひさ)/政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1971年、福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など(写真:施 光恒)

文化の違いによる解釈の違いが、ベースボールも野球も発展させる要因になっているのでしょうね。そして、イチロー選手や大谷選手が誕生する背景には、解釈の違いがあり、その違いをもとにみんながプレーすることで、それぞれ独自の進化が生じているのではないでしょうか。

その意味で、単一のグローバリズムやグローバルガバナンスではなく、複数の国民国家が必要だと思います。各国が独自の発展を遂げる一方で、互いに交流し学び合いもするという矛盾した形が、全体としての世界の発展に寄与するのではないでしょうか。

ここでいうユニバーサルないしインターナショナルな世界で価値観の解釈合戦が行われることで、お互いに影響を受け合い、共存できる環境が重要だと思います。そのため、多数の国からなる多元的な世界が、認識的にも面白く、発展につながるのではないかと。そんなふうに思ったんです。

ベースボールの偶発性と普遍性

中野:野球や柔道などのスポーツを見ているといつも感じることですが、九鬼の言葉を使うと、ベースボールはアメリカで偶然性から生まれ、そしてその中にはベースボールの普遍性が存在していたのです。それが日本や韓国、オーストラリア、カナダなどに移植され、具体化される中で、多様な形態のベースボールが生まれた。

裏を返して普遍性のほうに目を向けてみると、アメリカにとっては自国以外でこんなにベースボールの普遍性が発揮されるのは初めて見たと感じたのではないか。もともとベースボールは、どの国でも独自の形になるポテンシャルを持っていたのですが、アメリカで始まったことで、ベースボールの普遍性とアメリカン・ベースボールの個別性とが一致して見られていた。しかし、他国に移植されたら、ベースボールはいろんな形になって現れた。それは、各国民がみんなでベースボールの普遍性を引き出していったとも言えます。そして、ベースボールの普遍性という通約可能性があるから、WBCという世界大会も開催できるわけで。

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