ワールドシリーズで大活躍する大谷翔平選手の人生を変えた「1枚の表」を知っているか
最初は日本ハムに行くつもりはなかった
大谷選手は花巻東高校の3年生当時、卒業後すぐメジャーリーグ(MLB)に行くか、日本のプロ野球(NPB)に行くかで揺れていました。
ドラフト会議の直前にメジャー挑戦を表明したにもかかわらず、ドラフト会議では北海道日本ハムファイターズが大谷選手を1位で強行指名します。その直後、大谷選手は否定的なコメントをしています。
「(メジャー挑戦を)一度決断した以上は、アメリカで頑張ろうと思っていましたし、どこに指名されても自分の意思だけはしっかりと持っていようと思っていたので、今はアメリカでやりたい気持ちしかありません」(佐々木亨『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』扶桑社より)
ところが1カ月半後、大谷選手は日ハムに入団することとなります。担当スカウトだった大渕隆さんら関係者が地元岩手に何度も足を運び、熱心に説得した結果でした。
その際に日本ハムが準備していった資料が『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』です。


















