「ソクラテスの毒杯」から西洋哲学が始まった理由 グローバリズム批判は「高貴ないきがり」である

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古川:そのとおりだと思います。九鬼に則して言うと、現実の世界には「ベースボールそのもの」や「野球そのもの」というような普遍的なものは存在せず、アメリカのベースボールや日本の野球など、個別具体的なものが多様に存在する。そう考えるのがユニバーサリズムです。

他方、グローバリズムというのは、アメリカのベースボールが普遍だと考えるわけです。

中野:そうそう。アメリカのベースボールを忠実にやらないかぎり、ベースボールとは認めないという立場がグローバリズム。

:だからアメリカが自分のところこそ「メジャーリーグ」であり、「ワールドシリーズ」であるとか言っちゃうと、まさしくグローバリズムになっちゃう(笑)。

中野:本当のワールドシリーズはWBCです(笑)。

「マカロニ・ウエスタン」という偉大なニセモノ

佐藤:本当にユニバーサリズムの立場に立つなら、通約可能性へのこだわりを捨てて、通約不可能性の面白さ、誤解にひそむ創造性ともいうべきものを楽しまなければならない。

佐藤 健志(さとう けんじ)/評論家・作家。1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。1990年代以来、多角的な視点に基づく独自の評論活動を展開。『感染の令和』(KKベストセラーズ)、『平和主義は貧困への道』(同)、『新訳 フランス革命の省察』(PHP研究所)をはじめ、著書・訳書多数。さらに2019年より、経営科学出版でオンライン講座を配信。これまでに『痛快! 戦後ニッポンの正体』全3巻、『佐藤健志のニッポン崩壊の研究』全3巻、『佐藤健志の2025ニッポン終焉 新自由主義と主権喪失からの脱却』全3巻が制作されている(写真:佐藤健志) 

いい例が黒澤明の時代劇映画です。ここにはシェイクスピア劇と並んで、西部劇の要素が取り入れられている。だから『用心棒』など、舞台となる宿場町の大通りがやけに広い。ついでにこの作品の筋立ては、アメリカの作家ダシール・ハメットのハードボイルド小説『血の収穫』を下敷きにしています。

はたせるかな、『用心棒』はセルジオ・レオーネ監督によって『荒野の用心棒』という西部劇に翻案されました。しかも『荒野の用心棒』、じつはイタリア映画。撮影はスペインで行われたものの、西部開拓というアメリカの特殊性に根ざしたものではありません。

九鬼周造なら「ニセモノだ!」と叫ぶところですが、イタリアの映画人はまるでお構いなしに、当たれば官軍とばかり、自己流の西部劇をバンバン製作しました。これにより「マカロニ・ウエスタン」(英語では「スパゲティ・ウエスタン」)という新しいジャンルが生まれ、本家アメリカの西部劇とは違った魅力を持つものとして評価されるにいたるのです。

このように誤解が誤解を生んだ結果、文化が豊かになるプロセスは確かに存在する。けれども第2回の記事で指摘したとおり、ユニバーサリズムは実践の過程の中で、ほとんど宿命的にグローバリズムへと変質します。

くだんの変質はどうやって始まるか? 簡単です。普遍性に富み、ゆえに覇権的優越性を持つと見なされる特定の文化において評価されるかどうかが、個々の文化の豊かさを計るバロメーターとなるのです。もっとわかりやすく言えば、ずばりアメリカで成功を収められるかどうか。

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