安易な国粋主義を戒めた「日本主義」哲学者の気概 九鬼周造の生き方に見る「媚態」と「やせ我慢」

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古川:そのとおりです。当時の日本文化講義で、こんなふうに「『日本スゴイ』とか言ってんじゃねーよ」などと言ってのけるのは、並大抵のことではありません。この講演を読んで感じるのは、むしろ体制の同一化の圧力に反発する九鬼の「意気地」ですよ。まさに「やせ我慢」です。

すべてを片仮名にする「意気地」のなさ

:今の「媚態」「諦め」「意気地」のお話は、国民保守主義をめぐる前回の研究会のテーマであった「グローバル化」と「国際化」が区別されずに使われている問題にも通ずる話だと思います。

施 光恒(せ てるひさ)/政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1971年、福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など(写真:施 光恒)

近年、この2つの言葉がほぼ同じ意味として使われてしまっている一つの原因に、言ってみれば、翻訳の際に同一化を拒む「意気地」が失われてしまったからではないかと思うんです。

昔の明治のインテリというのは、欧米の理念を国内に輸入するときに、すべて漢語にしていったわけですよね。彼らは欧米の文化を取り入れる際に、自分たちの伝統を意識し、それにうまく位置づけていた。

しかし、近年ではすべて片仮名で取り入れるようになってしまいました。さらにひどいのは、片仮名だけでなく、アルファベットの頭文字だけで何かを表現しようとするようになり、何が何だかわからなくなってきています。

例えば、「グローバル化」という言葉についてですが、中国では「全球化」と訳されます。一方、「国際化」は中国でも「国際化」として通じます。もし日本でもインテリが意味を考えて、「グローバル化」を「全球化」と訳していたら、「グローバル化」と「国際化」の区別がもう少しつけられたのではないでしょうか。

そうすれば、国境線をなるべく取り払うという意味でのグローバル化はイヤだけど、互いの違いを認め合い、尊重しながらも積極的に交流する国際化は目指すべきではないか、というような建設的な議論ができたのではないかと考えています。そのような意味で、最近のインテリたちは少し怠けているのではないかという印象を持っています。

古川:九鬼も「外来語所感」というエッセイの中で、翻訳の努力をせずに何でもかんでも片仮名で言って、しかもそれをオシャレとかカッコいいとかと思っている風潮に対して、激しい嫌悪を表明しています。すでに当時からそういう風潮があったんですね。

この点は、九鬼が「日本的性格について」の中で論じている「日本主義」と「世界主義」との関係をどう考えるかという問題にもなってきますので、第2回以降で引き続きそこを見ていきたいと思います。

「令和の新教養」研究会
「れいわのしんきょうよう」けんきゅうかい

この複雑で不安定な世界を正しく理解するためには、状況を多面的に観察し、幅広く議論し、そして通俗観念を批判することで、確かな思想を鍛え上げなければなりません。内外で議論の最先端となっている書籍や論文を基点として、これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論する研究会です。コアメンバーは中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家、作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、古川雄嗣(北海道教育大学旭川校准教授)の各氏。

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