国民保守主義の台頭
中野:今年の2月に『The Economist』誌にて、「国民保守主義の危険性」という記事が掲載されていました。
グローバリズムによって国民の生活が貧しくなっている現実を受け、トランプ的な自由主義を否定する国民保守主義の台頭に対して、リベラル側はグローバリストとしてではなく愛国心に立脚したうえで自由主義を肯定し、国民保守主義に対抗すべきだという内容でした。
この主張について、まずは施さんに、3月6日の産経新聞でお書きになられていた「国民生活第一路線を捨てた当然の帰結としての『失われた30年』」という論考に基づいて、ご意見を伺えますでしょうか。
施:わかりました。まずは産経新聞の記事について簡単に述べさせていただきます。こちらの論考はもともと「失われた30年検証研究会」という会合で講演した内容に基づいています。結論としては、「失われた30年」とは、日本政府が自ら望んだものではないかという話です。というのも、失われた30年の主要因は、新自由主義に基づくグローバル化の推進を経済政策の基本理念とし、つまり、グローバルな投資家や企業がビジネスしやすい環境の整備を経済政策の第一の目的としてしまい、一般国民の福利の向上や生活の安定をないがしろにしてきたことだと思うんですね。
90年代半ば頃から徐々に、グローバルな投資家や企業の声が非常に大きくなってしまいました。各国の経済政策を、各国の国民の福利の向上、生活の安定のためではなく、グローバルな投資家や企業関係者がいわゆる稼ぎやすい、ビジネスしやすい環境をつくるために都合のいいように変えていくという方向になったのではないかと。