中野:施さんや古川さんがおっしゃったグローバル化と国際化がごちゃ混ぜにされるのって、実は世界的に見られる現象なんですよね。施さんのアンケートからも、人々はこの違いを少なくとも暗黙のうちに理解しているようなのですが、政策としては反映されていない。
インテリは前近代からグローバル志向だった
中野:私の考えとしては、近代をどう捉えるか、っていうところと関係があるんじゃないかと思います。佐藤さんのおっしゃるように近代は普遍性を目指す動きだと理解されがちですが、実際にそうかというと、私は違うと思うんですよ。
前近代、例えば封建社会では、国境なんて意識されていなかった。その代わり、固定された階級があり、エリート層はラテン語を使い、キリスト教世界でグローバルに活動していました。インテリはグローバルだったわけです。近代化とともに庶民が権利を持ち始めると、ラテン語じゃなくてフランス語などの現地語、俗語で喋る必要が出てきて、国境が意識され始め、ナショナリズムや国境の概念が出てきました。つまり、個別化は近代の産物で、前近代ではあまり意識されていなかったわけです。
じゃあ、グローバリゼーションとは何か。インテリは今でも、エニウェア族、つまりどこでも生きられるグローバルな存在でいたい。これは前近代も同じ。ただ、庶民が民主的に参加し始めると国境の壁が生まれるんです。でもエリートだけだったら、学問の世界では特に、グローバルな交流は当たり前のことです。自分たちだけの世界では、楽しく、知的な刺激もあり、問題もない。そんな状況ですから、「Imagine」も歌いたくもなりますよね。
ですから、グローバリゼーションを推し進めたいのは、インテリ、つまり知識階級なのです。アンケートで見ると、一般の人々がそういう世界を必ずしも望んでいないことがわかります。でも、思想やジャーナリズムを紡ぎ出しているのはインテリです。その彼らの思想は、本質的に封建的、メリトクラシーという階級制を重んじる。だからグローバリゼーションが進むと封建的な世界になる、という言説は矛盾しているわけではなく、そもそもそのトップにいるインテリの考えが、封建的だったということなんじゃないですかね。
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