「期間限定の独裁」という合意形成の放棄
中野:昨年(2023年)末に佐藤さんは「論壇チャンネル『ことのは』」で「年末スペシャル:佐藤健志が語る『日本の危機』」という講義をされましたね。
そこで指摘されていた問題は、この「令和の新教養」研究会の新刊『新自由主義と脱成長をもうやめる』の内容にもつながる重要な問題だったと思います。
今回は、佐藤さんが提起されていた現代の「自由民主主義」のあり方の問題を中心に議論してみたいと思います。まずは佐藤さんから、ご講義の要点をあらためてお話しいただけますか。
佐藤:政治が安定的に機能する大前提は、「国の方向性はどのようなものであるべきか」「そのために必要な政策は何か」といった点について、社会的な合意が成立していることです。とりわけ自由民主主義は、絶えざる合意形成の努力なしには機能不全に陥る。ところが現在の日本の政治は、まさにこの努力を放棄しているように見えます。
『日本を救う主権への回帰』というオンライン講座(経営科学出版)で詳細に論じたのですが、1990年代後半あたりから「根回しなどせずに押し切るのがリーダーシップ」という考え方が流行りだした。その根底にあるのは、改革路線がうまく行かないことへの苛立ちです。
平成の日本では「国をいっそう発展・繁栄させるためには、抜本的な改革が必要」という発想が支配的でした。けれどもそのような改革は、確実に「痛み」を伴います。言い換えれば今まで以上に、入念な根回しによる合意形成が求められる。
ところが実際には逆のことが起きた。改革路線が空回りを続けたせいもあって、「根回しをやっていたら何もできない。真のリーダーなら、反対を排除して押し切れ」となったのです。これと関連して、民主主義とは何かをめぐる認識まで変わってきた。
つまり民主政治を、〈期間限定の独裁支配〉の繰り返しのごとく見なす傾向が強まったのです。「選挙で選ばれたんだから、リーダーは好き放題にやって構わない。不満があれば、次の選挙で追っ払えばいいんだ」というアレですよ。しかしこれでは、合意形成も何もあったものではない。