古川:しかし、そういう意味でのパトリオティズムや祖国愛が大事だというのは、当たり前の話で、それだけでは何を言ったことにもなりません。本当の問題は、そうやって彼らが敵視しているナショナリズムのほうこそが、実はリベラルな社会の前提条件であるということなんです。
佐藤:古川さんが指摘された箇所は、厳密に訳せば「リベラルは愛国心について恥ずかしく思うのを克服しなければならない。愛国心とは、祖国を大事に思う自然な感情である」。この後に「そして祖国とは、国民のまとまりがあってこそ維持されるものなのだ」と来るべきではないかということですね。
古川:そのとおりです。「愛国心に対するためらいを克服すべき」という、この言説こそが、実はリベラルのナショナリズムに対するためらいを如実に表現しているわけです。
まあ、とはいえ、わが国ではこういう意味での愛国心でさえ、いまだにタブー視されているのが現状ですから、まず話はそこからというのもわかります。そういう意味で、特に日本のリベラルにこそ読んでもらいたい評論だと思いますね。
中野:佐藤さんは、施さんのお話についてどうお考えになりましたか。
「怨み節の政治」を志向する国民保守主義
佐藤:趣旨には賛成ですが、気になる点もあります。まずは少子化。これは非婚化の結果であり、背後には経済的な停滞がある、現状は確かにそう見えます。
ところが『少子化社会対策白書』のデータを見ると、25歳から39歳の未婚率が急上昇を始めるのは、男性で1970年代後半、女性で1980年代前半から。ただし30代後半の女性のみ、1990年代前半からとなりますが、だとしてもグローバル化がどんどん進む前、日本が繁栄していた時期なんですよ。これをどう説明するのか。しかもデフレ不況が長期化するにつれて、未婚率の伸びは鈍くなり、横ばいに近くなってくる。
今の若者が経済的な不安のせいで結婚しないのは事実としても、少子化をグローバル化とどこまで結びつけていいかは考えものですね。この問題をめぐっては、拙著『平和主義は貧困への道』でも、「平和主義は少子化への道」と題して論じましたので、ぜひあわせてご覧ください。
次に『Economist』の記事。ここには国民保守主義の問題点に対する重要な指摘が見られます。つまりこの理念は、グローバリズムや新自由主義に対する被害者意識に基づいた「怨み節の政治」を志向するものだと書いてあるのです。
ところが人間、被害者意識にとらわれたら最後、自分が悪いとは絶対に思えなくなる。物事がうまくいかなくても「あいつのせいだ、こいつのせいだ」とヒステリーを起こすばかりで、おのれを省みたり、行動を改めたりはしないのです。つまりこれが正しければ、国民保守主義など自滅を運命づけられた独善にすぎない。