村上春樹『風の歌を聴け』が描く戦後日本の虚無感 「日本的なるもの」の喪失を描いた透明な文学
藤井:そのときにもう目の前に、自分の手触りのある空間のなかで逃げ場所っていうのは、女の子しかいないんですよ。そこが初恋なんです。初恋っていうのは、初めて自分の精神の居場所を見つけた体験なんですよね。その意味で言えば、僕にとって村上春樹っていうのは、初めて僕の精神が躍動してもいい、女の子以外の世界だったんです。
川端:「トランスポーテーション」ですね。物語に入り込むんです。
藤井:そう、心理学では「トランスポーテーション理論」とかって言うんですけど、自分を村上春樹の世界にトランスポートして、そこで生きることができるような気になるんですよ。もちろん僕は、小学生の頃なら『太平記』とか『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の特攻シーンにもトランスポートしたりするんですけど、いかんせん日常生活とかけ離れすぎてる。
ところが、春樹の描くジェイズ・バーの世界、後に「直子」と呼ばれる女の子、あるいは、4本指の女の子や、後に「ミドリ」と呼ばれるような鼻をくっつけて寝る女の子、あと『ねじまき鳥クロニクル』の世界で出てくる隣の女の子、ああいう女の子たちというのは、おそらく誰の人生の隣にもいるかもしれない女の子たちだし、実際に僕の現実世界のなかに、それぞれに思い当たる節があるんです。しかも、ジェイズ・バーのような空間で、大親友でもない鼠とひと夏しか一緒にいなかったりする関係もありえたりする。
だから、この捕虜収容所のなかで、初めて人間として生きていくことが許された空間として、「村上春樹という空間」を与えられたように思うんです。だから初恋なんですよ。でも、そこにあるのは「気分」だけですから、そこにずっといることはできない。初恋は初恋であって、本当の恋愛じゃない。
だから僕は、そこで「生き方」というものを学んだ後、この小さな部屋、村上春樹という小さな部屋から少しずつ出て行って、この世界に対するデタッチメントからコミットメントへと移っていく。つまり、大学の教授やったり、参与をやったり増税反対運動をやったりしながらこの世界に戻ってきているっていう感じがします。それが僕と村上春樹の関係なんですね。
浜崎:なるほど、藤井先生の青春には、「春樹の部屋」が必要だったということですね。
80年代でありながら「今」っぽさがある世界観
柴山:僕は、学生のときに村上春樹の『ねじまき鳥』が話題になっていて、読んでみたんですけどぴんとこなくて、以後、読まずに通り過ぎてきました。先ほどの話でいうと、クラスで人気の女の子に対して「俺はなびかないぞ」みたいな感じだった(笑)。でも、今回初めてじっくり読んでみて、印象が変わりましたね。
まず、すごく凝った作りになっていますよね。村上龍が無意識に物語を走らせているタイプだとすると、村上春樹はとても作為的というか、この作品も何度も書き直してこうなったんだろうと思えて仕方ない。そうやって独特の世界観を構築しているんだと思います。ここで描かれている世界は現実離れしているんだけど、妙にリアリティがある。現実であって現実ではない、「亜現実」みたいなものを言葉の力で作っているという印象です。これはすごいなと思いました。
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