「引退から50年」長嶋茂雄は一体何が凄かったのか 監督時代も知らない人に伝える唯一無二の野球人

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筆者はこの時代に少年期を過ごしたが、近所で巨人の「YG」以外の野球帽を見かけたことはなかった。1965年から、巨人は空前のV9(リーグ戦、日本シリーズ9連覇)を達成する。そんな中、1968年に始まったアニメ「巨人の星」によって、子どもたちの「巨人人気」も決定的なものになる。

東京ドームに残るレリーフ(写真:筆者撮影)

民放のプロ野球中継は、ほぼすべてが「巨人戦」。他のカードはローカル局やNHKが時々放映するだけ。巨人戦の視聴率は常時20%を超え、テレビ局にとってはキラーコンテンツとなった。

巨人を除くセ・リーグ5球団は、本拠地での「巨人戦」の放映権料だけで採算が成り立ったと言われる。巨人戦がなかったパ・リーグはほとんどが赤字で、親会社の補填を受けていた。

こうしてプロ野球は「ナショナルパスタイム(国民的娯楽)」になった。まさに長嶋茂雄が巨人に入団した1958年を契機として、日本の大衆文化は音を立てて変わったのだ。

王と長嶋の「ONコンビ」

長嶋の1年後に入団した王貞治が、一本足打法になってから13年連続本塁打王になるなど、圧倒的な活躍をする一方、長嶋は記録的には王に見劣りしたが、人気では負けなかった。王と長嶋、ONコンビは日本スポーツ界の最高のスターだった。

南海の大捕手で長嶋茂雄と同学年の野村克也は「王や長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草だ」と言ったが、巨人、ONと他のプロ野球選手はそれほどの差が開いていたのだ。

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