その長嶋にも引退の時が来る。巨人のV9が途切れた翌1974年、長嶋茂雄は17年間の現役に別れを告げ引退する。
涙にくれながら球場を一周する長嶋の雄姿は、夕方のテレビで中継され、当時中学生の筆者もテレビで見た記憶がある。
長嶋茂雄の楽天的な明るさ
長嶋茂雄がなぜこれほど人気があったのか? それは活躍に加え、天性の楽天的な明るさにあったと思う。
長嶋の前の大スター、川上哲治は「彼は親孝行だからヒットが打てたんです」と語るなど修身の教科書のようなキャラだった。また同僚の王貞治は「真剣を振り抜いて打撃の神髄を極めた」求道者だった。
しかし長嶋茂雄は、いつも楽しそうに野球をした。ベースを踏み忘れて本塁打をフイにしたり、ストッキングを片足に2枚とも履いたり、おかしな逸話に事欠かなかった。そういう意味でも、長嶋はかつてないタイプのスーパースターだった。
引退後、長嶋茂雄は巨人軍の監督を2期15シーズンにわたって務め、リーグ優勝5回、日本一に2回輝いているが、就任1年目には巨人史上初の「最下位」という屈辱も味わっている。「監督長嶋茂雄」の能力については、議論の余地があるところだろう。
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