「罰ゲーム化する管理職」視点変わる"3つの考え" 日本は「管理職目指す人」が他国と比べて少ない

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筆者も20代後半から管理職と呼ばれるポジションを経験しているが、以前から感じていたのが「”管理職”という日本語が本質とズレている」ということだ。

英語では「マネージャー」だが、その意味は「自分のチームやメンバーがうまくいくようにサポートする人」だと認識している。もちろんチーム管理の業務も含まれるが、それは役割の一部分。最大のミッションは、受け持つチームのパフォーマンスを最大化して、企業やチームの目標を達成することだろう。

ところが、管理職という言葉になるとどうしても「人を管理する役割」というイメージが全面に出てしまう。サポートの意味合いがこの言葉からは微塵も感じられないのだ。

ちゃんと業務が進捗しているかチェックしたり、会社やチームに不利益なことをやらないか見張ったり、目標や勤怠、コンプライアンスや残業を管理したり。それが、人を管理する業務の一般的なイメージではないだろうか。主な目的は、組織の中でミスや問題が起きるのを防ぐこと、ということになる。

一方で、”逆張り”の会社も出てきている。「部下に好かれているか」を管理職の評価基準にするやり方だ。斬新だとは思うが、部下に好かれないと評価が下がるのであれば「好かれる管理職」を演じるケースも出てくるだろう。職場にいる限り「好かれる管理職」の仮面をかぶり続けなくてはならず、それもやはり「罰ゲーム」だと思う。

「管理職」の認識を再定義しよう!

そのように「人を管理する業務」をあらためて眺めると、「そもそも、こうした仕事をやりたい人はいるのか?」と疑問に感じるのは筆者だけではないだろう。これから組織で働く20代には「管理職=人を管理する役割」という認識をリセットするよう強く勧める。

筆者の考えでは、本来管理職のミッションとは「チームメンバーのパフォーマンスを最大化させて結果を出す」ということだ。人の管理は役割の一部で、主となるのは「チームが機能して目標達成するようにサポート・調整する」ことだと思っている。

「チームのパフォーマンスを最大化させる」ということで参考になるのが、スポーツの監督ではないだろうか。

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