なぜ若者は怒られると過剰に反応してしまうのか 上司にとって「怒らない=最適解」になる病理
ちなみに、いわゆる大企業ほどこの傾向は強まるだろう。大企業ほど管理職向けには丁寧に研修をするし(一般論としては、研修など社員教育にリソースを割く企業はよい企業である)、コンプライアンスを気にして強い統制を行っている。
つまり結論としてはにべもないものだけども、会社として揉め事にならないように怒らなくなった、というだけといえばだけなのだ。ところがこうした構造は、上司側からは当然見えているだろうけども、当の若者はそんなことは知るよしもない。
「怒るなんてありえない」という観念の広まり
最近の若者を見ていると、冗談ではなく、怒った人を見たことがないのではないかと思うことがある。怒るのは教育として間違いだという観念が浸透し、ご家庭の方針として怒らないと決めているケースもあるだろう。先生や上司はさらに(組織の事情で)怒らなくなっている。
この経験のなさは危険でもある。「怒り」への免疫がなさすぎるからだ。いくら間違ってるとか悪だとかラベリングしたところで、喜怒哀楽というように「怒」は人間のきわめて基本的な感情である。怒る・怒られることから逃れて生きることは珍しいし難しい。
怒りを排除した教育は、車の一切通らない道で交通マナーを学ぶようなものだ。実際の道路には車がバンバン通るし、車は重大な交通事故の主要因なわけだから、車を排除して交通マナーを学んでも、実践的意味は薄い。
結果として、驚きあきれるようなことが、教育現場では起きがちだ。ちょっと怒るとこの世の終わりみたいな顔をする学生は、けっこういる。めちゃくちゃ楽しそうに笑顔でおしゃべりしていて、うるさいよ静かにして、と言うと一瞬でこの世の終わりのようなツラに変わる。
この人ら、私語をしたら怒られるって知らないのか? って思ったりする。たぶん知らないのだ、怒られてこなかったから。怒ることを、オトナが放棄してきたから。私語をする若者に怒ると、逆にオトナが怒られる。若者が萎縮してしまったらどうする。トラウマになったらどうする。前向きにしゃべっているだけだ。自分で考えて更生する機会を奪うのか。お前が不機嫌なだけではないのか……。
何の中身もない言葉で怒りを排除してきたのは若者ではなく、オトナである。
このような背景を経て、怒られたときの若者のリアクションは2パターンある。まずはこの世の終わりのような顔をする。次に、徹底して「自分が悪くて怒られたわけではない」と抗弁するパターンである。言葉は悪いが、怒った学生から粘着質に絡まれることは、教育現場では珍しくない。
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