「年金の神様」が失脚、次官を目前に厚生省を去る 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#3
「孫におひな祭りのお菓子でも買って帰ります」
私は古川貞二郎に2020年8月28日、2021年10月1日の2度、拙著『ルポ年金官僚』の取材で話を聞いた。
私の手元には、コメントチェックをお願いした際、古川が詳細に書き込んだA4の紙4枚が残っている。その冒頭、角ばった癖のある赤字でこう記されている。
「当時の年金局には優秀な人材が集まっていて、小山進次郎局長以下全職員が、国民年金制度の発足準備に追われ、活気に満ちていた。後々古川は、霞が関人生の始まりが、あの年金局であったことは、好運だったとしみじみと語る」
古川は1960年1月、国民年金課で霞が関官僚のスタートをきったが、わずか1カ月で鉄火場の福祉年金課に異動となる。まだ支払いを郵便局にするか決まっておらず、高木玄・福祉年金課長の下、激しい議論がなされた。新米の古川の主な仕事は、インターネットのない時代、全国の新聞から福祉年金に関する記事を集めることだった。
4カ月分の4000円――現在価値にして9万円弱が濡れ手で粟なのだから当然と言えば当然だが、感謝の言葉で溢れていた。



















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