「年金の神様」が失脚、次官を目前に厚生省を去る 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#3
2025年、日本は、団塊の世代すべてが75歳以上の後期高齢者となり、国民の5人に1人が後期高齢者となる「2025年問題」に直面する。その年には年金法改正が予定されている。歴史上経験したことのない高齢社会に私たちが立ち向かう時、年金はどう位置付けられるべきなのか。その解は、政治とメディア、そして巨額な積立金に翻弄された年金官僚たちのドラマの中に、ちりばめられているはずである。
ここでは、『週刊文春』の記者として年金問題を追い続けてきた和田泰明氏の著書『ルポ年金官僚』から一部を抜粋。国民皆年金という国家的プロジェクトをスタートさせ、年金の神様と呼ばれた小山進次郎年金局長が次官を目前に失脚に至る攻防を紹介する。
(全3回の3回目)
「孫におひな祭りのお菓子でも買って帰ります」
私は古川貞二郎に2020年8月28日、2021年10月1日の2度、拙著『ルポ年金官僚』の取材で話を聞いた。
私の手元には、コメントチェックをお願いした際、古川が詳細に書き込んだA4の紙4枚が残っている。その冒頭、角ばった癖のある赤字でこう記されている。
「当時の年金局には優秀な人材が集まっていて、小山進次郎局長以下全職員が、国民年金制度の発足準備に追われ、活気に満ちていた。後々古川は、霞が関人生の始まりが、あの年金局であったことは、好運だったとしみじみと語る」
古川は1960年1月、国民年金課で霞が関官僚のスタートをきったが、わずか1カ月で鉄火場の福祉年金課に異動となる。まだ支払いを郵便局にするか決まっておらず、高木玄・福祉年金課長の下、激しい議論がなされた。新米の古川の主な仕事は、インターネットのない時代、全国の新聞から福祉年金に関する記事を集めることだった。
4カ月分の4000円――現在価値にして9万円弱が濡れ手で粟なのだから当然と言えば当然だが、感謝の言葉で溢れていた。
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