「不採用を一転、年金局に配属」あきらめの悪い男 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#1
元首相の不在
2022年9月17日午後。空はどんよりと曇っているが、夏はまだ残っていて、黒ずくめのスーツでは汗ばむほどだ。港区芝公園の増上寺光摂殿に、750人もの喪服を着た人々が集まった。営まれたのは、9月5日に87歳で死去した古川貞二郎の「お別れの会」である。
整然と並ぶスタッキングチェアの最前列に、マスクをした老人が、杖を手にどっかりと座っている。森喜朗である。その後ろの席は、マスクをつけていない小泉純一郎と福田康夫がいた。しかしこの「元首相」たちの中に、本来いるべき人の姿はなかった。
2カ月前、銃弾に倒れた安倍晋三である。
古川は、厚生事務次官、さらに霞が関官僚機構の頂点である内閣官房副長官(事務)を5代の内閣、8年7カ月にわたって務めた。20歳年下の安倍とは、森、小泉政権にかけ、福田官房長官の下、ともに官房副長官だった間柄だ。2003年9月、古川が勇退する時、安倍も官邸を去った。現行の年金制度に連なる「100年安心年金」の法案成立に向け、空前の「年金ブーム」が巻き起こっていた頃だ。
年金は、二人に深く関係している。
古川は、国民年金法が成立した翌年の1960年に厚生省に入省。発足したばかりの年金局で駆け出しの5年間を過ごし、国民皆年金制度スタートを間近で見てきた。