「不採用を一転、年金局に配属」あきらめの悪い男 年金を巡る攻防の全記録『ルポ年金官僚』より#1
仮庁舎2階にある年金局国民年金課が、古川の配属先であった。
階段を上がるたびにギシギシ鳴り、それが緊張を一層高めた。だから古川は、この時に若い女性とすれ違ったことを覚えていない。女性は、高校を出たての厚生省福祉年金課の臨時職員。二人が結婚するのは、その4年後のことである。
あきらめの悪い男
古川は25歳。新人にしては、回り道をしている。
佐賀県佐賀郡春日村の農家の長男として生まれた古川は、九州大学を志望。不合格となり佐賀大学文理学部に入学を果たすが、あきらめきれず、籍を置いたまま九州大学法学部を受験し、合格する。
就職は「両親のように一生懸命働いた人たちの老後は幸せであるべきだ」と厚生省を志望した。国家公務員上級職を受験するも失敗。まずは長崎県庁に入庁した。同時期、自治省採用で赴任してきたのが片山虎之助(後に総務大臣、日本維新の会共同代表)である。
古川はあきらめが悪かった。県庁から帰宅後に試験勉強を続け、翌年も国家公務員試験を受けるのだ。
今度は行政職10位の成績でパスした。だが面接試験のため佐賀から東京へ向かう時、不運に見舞われる。1959年9月26日、死者・行方不明者5000人を超えた伊勢湾台風が東海地方を直撃したのだ。
交通網は壊滅的となり、東京に辿り着くのに36時間かかった。食事も睡眠もろくにとっていない状態で、身体検査では身長172.5センチで体重はわずか49.5キロ。検査を担当した係官に驚かれたほどだ。
それも原因だったのだろう、面接が行われた日の夕方、厚生省内で不合格を告げられる。
だが、やはりあきらめが悪い。宿にしていた品川の長崎県寮に戻ったが、どうにも納得がいかない。そこで翌朝一番、古川は厚生省人事課長・尾崎重毅のもとを訪ねるのである。
古川は厚生行政に対する熱い想いをぶつけた。尾崎は心を動かされたのか、「君のような熱意のある人材がわが省に必要だ。上と相談するから、いったん長崎に帰っといてくれ」と答えた。だが、古川はテコでも動かない。長崎に帰れば、「精一杯やったがダメだった。来年がんばってくれ」と言ってくるのがオチと思ったのだ。
人事課長と言えども、独断で決められる話ではない。
「君の期待に必ずしも沿えないかもしれない。その時は変な事になるまいな」