そのうえ、道長は橘淑信を自分の足で歩かせている。罪を犯して連行されるときでさえ、牛車に乗せるのが慣例だった貴族にとって、自分の足で歩かされることはこのうえない屈辱だった。橘淑信は、道行く大勢の人たちの前で辱められることとなった。
拉致脅迫事件は世間にすぐに広がる
この拉致脅迫事件は、すぐさま世間に広がった。道長は父の兼家から、叱責を受けることとなったという。
道兼の子どもたちがそろいもそろって乱暴者だったと聞けば、大河「光る君へ」を観ている人ほど「さすが道兼の子どもだけあるな……」と思ってしまうが、当時の人々からは「さすが道長の甥っ子だけあるな……」と呆れられていたのではないだろうか。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら