道長が「試験官を監禁」改ざん迫る呆れた行為 兄である道兼の息子たち3人も次々とやらかす

✎ 1〜 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 15 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

さらに、長和3(1014)年の正月にも、兼隆はトラブルを起こす。『小右記』によると、藤原兼隆の下女が、藤原実資の下女と井戸の使用をめぐってケンカになった。すると、藤原兼隆の下女は「殴られて衣服まで奪い取られた」と兼隆に訴えた。

それを聞いた兼隆は怒って、藤原実資の下女の家を襲撃。破壊して略奪したというから、仕返しにしてもすさまじい。

結局、元凶となったトラブルについては、兼隆は自分の井戸でのことだと思い込んでいたが、実際には、実資の井戸だったと判明。一転して低姿勢になった兼隆。「あなたの井戸とは思っていませんでした。あなたの下女の品々は弁償します」と伝えたのだという。

次男の兼隆はどうもカッとするとエスカレートする性格だったようだ。3男の藤原兼綱も、寛弘2(1005)年正月の踏歌節会で、やらかしてしまう。

源朝任や藤原兼貞ら5名とともに、蔵人に暴行を加えている。それだけではなく、節会で踏歌を行う女性らが使用するはずだった簪や櫛を取り上げてしまい、謹慎処分をくらっている。

試験結果の改ざんを迫った藤原道長

息子たちの粗暴さを思えば、やはり道兼も乱暴者だったのかも……と思えてしまうが、どちらかというと、やらかしているのは道兼の弟、藤原道長のほうである。23歳で権中納言になり、出世の足掛りをつかむと、早々と事件を起こしている。

当時、道長には、どうしても官人にさせたい人物がいた。そのためには、官人採用試験で良い成績をとらなければならなかったが、道長が目をかけた受験生の試験結果がどうにも振るわなかったらしい。すると、道長は式部省に目をつける。

光る君へ 大河ドラマ 藤原道長
世界遺産平城宮跡の朱雀門と復元された式部省跡(写真: ケン / PIXTA)

式部省とは、官人の採用や評価を職務とする機関で、官人採用試験も取り仕切っていた。道長は、使者たちに命じて、式部省で働く試験官の橘淑信を自宅に拉致。監禁状態にして、試験結果を改ざんするように迫ったというから、メチャクチャである。

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事