NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第13回は、藤原道長の異母兄弟である道綱と、道綱の母のエピソードを紹介する。
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「一夫多妻制」とは言えなかった平安時代
「それは私を北の方にしてくれるってこと?」
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、主人公のまひろ(紫式部)が藤原道長から「妻になってほしい」と求愛されて、こう問い返したことが話題となった。北の方とは、正妻のことだ。
当然、まひろの身分では、右大臣の息子、いや、今や摂政の息子となった道長の正妻になるのは難しい。無言の道長に「妾になれってこと?」と問い返して「そうだ」と返されると、悲嘆に暮れたまひろは道長を拒否。道長もまた無理難題をいうまひろに苛立ちながら、その場を立ち去った――。
言うまでもなく、2人のやりとりはフィクションである。もっとも、紫式部が道長の妾だったという説は昔からあり、珍しいものではない。また、道長と式部は歌を詠み合う仲だったことは確かだ。だが、恋愛関係にあったという裏づけはない。
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