「歎きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」
現代語訳すれば「嘆きながら、1人で孤独に寝ている夜が明けるまでの時間がどれだけ長いかご存じでしょうか? ご存じないでしょうね」というものになる。
「中古三十六歌仙」に選ばれるほど、和歌の名手だった藤原道綱の母だったが、この歌については「例よりはひきつくろひて書きて」とある。いつもよりも注意を払って、創作したらしい。そんな思いが込められているからだろう。この歌はのちに「百人一首」にも選ばれることになる。
藤原道綱の母は、この力作を色のあせている菊に挿して、兼家に送っている。この秀逸で切ない和歌を受けて、兼家はこんな返事をした。
「夜が明けるまでも待ってみようとしたけれども、急な呼び出しが来てしまって」
(明くるまでも試みむとしつれど、とみなる召し使ひの来合ひたりつればなむ)
不信感を募らせる道綱の母
なんとも軽い返事である。その後「いとことわりなりつるは」、つまり、「あなたが怒るのも当然だよね」と、とってつけたように言いながら、さらに、こう続けている。
「げにやげに 冬の夜ならぬ槙(まき)の戸も 遅くあくるは わびしかりけり」
意味としては「本当に、冬の長い夜が明けるのを待つのはつらいものだが、冬の夜でもない真木の戸が開かないのもつらいことです」。
君もつらかっただろうけど、せっかく行ったのに戸が開かないのもつらかったよ……と、結局のところ、謝る気はなし。
不信感を募らせる藤原道綱の母だったが、兼家は素知らぬ顔をするばかりだった。しばらくは「宮中に行く」と言い続けて隠すべきなのに、それすらもしなくなったことについて、藤原道綱の母はこう嘆いている。
「いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや」
(不愉快に思うこと限りない)
なんともかみ合わない2人。飄々とした兼家の前に、道綱の母による「兼家追い出し作戦」は、不発に終わることとなった。
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