「それはたいそうお気の毒なことですね。そのお方は、お残しになった忘れ形見の御子もいらっしゃらないのですか」
あのあどけない少女の素性をなおはっきりと確かめたくて光君はそう訊いた。
「亡くなります直前に生まれました。それも女の子でした。女の子ですから心配の種も尽きないと、老い先短い妹は嘆いております」
という僧都の言葉を聞いて、やはりそうかと光君は納得し、口を開く。
「つかぬことを申し上げますが、この私をその幼いお方のお世話役にお考えくださるよう、尼君にお話しいただけませんでしょうか。私には妻もおりますが、どうにも気持ちがしっくりといかず、思うところあってひとり身のような暮らしを続けております。まだ不似合いな年齢なのにと、世の常の男の申し出と同様にお考えになられますと、この私は間の悪い思いをすることになりますが」
読経の声がとぎれとぎれに聞こえ
「まったくよろこんでお受けするべき仰(おお)せ言(ごと)でございます。けれどまだいっこうに頑是(がんぜ)ない年でございますので、ご冗談にもお世話いただくわけには参りません。そもそも女性というものは、周囲の人に何かと世話をされて一人前になるものですから、僧都のわたくしからくわしい意見は申し上げられません。あの祖母によく相談いたしました上でご返事申し上げましょう」
僧都は取りつく島もない様子でそっけなく言い、年若い光君は気が引けて、それ以上うまく話すことができない。
「阿弥陀仏(あみだほとけ)のいられますお堂で、お勤めをする刻限でございます。夕べのお勤めをまだしておりません。すませてからまたこちらに伺いましょう」と言って、僧都は堂に上っていった。
光君が悩ましい気持ちを抱えていると、小雨が降ってきて、冷たい山風も吹きはじめる。滝つぼの水嵩(みずかさ)も増して、水音も高く聞こえる。少し眠たそうな読経の声がとぎれとぎれに聞こえてくるのが心に染みて、場所が場所だけに、無関心な人でも何かしら神妙な気持ちにもなるだろう。まして光君はあれこれと考えることが多く、まんじりともできない。夕べのお勤めと僧都は言っていたけれど、夜もずいぶん更けてきた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら