奥の部屋でも、まだだれか起きている様子が聞こえてくる。数珠(じゅず)が脇息(きょうそく)に触れて鳴る音がかすかにし、ものやさしい衣擦(きぬず)れの音もして、光君はその上品な音に聞き入る。その音がそんなに遠くはないので、立てめぐらしてある屛風(びょうぶ)の中ほどを少し引き開け、光君は扇を鳴らして人を呼ぶ。奥の人たちはこんな時間に思いもよらぬという様子ながら、聞こえないふりはできないと思ったのか、だれかがいざり出てくるようである。少し下がり、
「あら、聞き間違えかしら」と不審そうに言うのを聞いて、
「仏のお導きは、暗い中でもけっして間違いのないはずですのに」と光君はささやいた。
その声がじつに若々しく、また気高いので、どんなふうに話していいのか決まり悪く思いながら、「どのようなご案内をいたせばよろしいものやら、わかりかねますが……」と女房は困惑している。
なんて大胆なことを
「なるほど、だしぬけに何を、と不審に思うのももっともですが──
初草(はつくさ)の若葉のうへを見つるより旅寝の袖(そで)も露ぞかわかぬ
(初草の若葉のようなかわいらしいあの方を見かけてから、旅寝の衣の袖も恋しさの涙の露に濡(ぬ)れて、乾くことがないのです)
お取り次ぎくださいませんか」と君は伝えた。それを聞いた女房は、
「そのようなことを伺って理解できるような方はここにはいらっしゃらないと、ご存じなのではございませんか。いったいどなたにお取り次ぎいたしましょう」と答えるが、
「こんなふうに申し上げるのにはしかるべきわけがあると、お考えになってください」と君がなお言うので、女房は下がってそれを尼君に伝えた。
まあ、なんて大胆なことを。姫君が男女のことがわかる年齢だとお思いなのかしら。それにしても、あの「若草」の歌をどこでお聞きになったのでしょうね……と、尼君はあれこれと不審がって気持ちが乱れるが、返事が遅くなっては失礼にあたると思い、
「枕ゆふ今宵(こよひ)ばかりの露けさを深山(みやま)の苔(こけ)にくらべざらなむ
(今宵だけの旅寝の枕に結ぶ草の露を、深山に住む私どもの苔の衣の露とお比べにならないでください)
私どもの袖こそ乾きそうにございませんのに」と、返歌を伝えた。
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