アドラー『嫌われる勇気』で生じた2つの「誤解」 「トラウマは存在しない」説と「課題の分離」

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たしかに対人関係で、相手の態度に一喜一憂してしまうと、ふりまわされることになります。

相手には相手の考えがある。相手には相手の受け取り方がある。

そうとらえて、気にしすぎないことは大切です。

また、「相手の問題・課題なのだから」と考えると、相手の顔色を気にしすぎずに、自分らしく振る舞い、発言することもできます。

そのため、「人間関係が楽になった」「嫌われる勇気をもつと、人の顔色を気にしないで自分らしくいられる」などと助けになった人も多いことでしょう。これはこれで、大切なことと思います。

ただ、「課題の分離」は、人間関係に悩む人の「最終解決策」ではないのです。

親子の関係を例に

例えば、親子の関係です。親が「部屋を片付けてほしい」と言ったところ、子どもが不機嫌になったとします。

子どもが不機嫌なのは、子どもの課題です。子どもが「部屋を片付けない」のも子どもの課題です。

けれどもこのときに課題の分離をして、親が子どもに対し、「私は『部屋を片付けてほしい』と思っているが、その思いをどう受け取り、行動するかはあなたの課題であり、私の課題ではない」というスタンスをとったとします。

「これはあなたの課題です。私の課題ではありません」ということです。けれどもそこで終わると、親の心は楽になっても、子どものほうは突き放されたように思うことがあります。

子どもが「自分は大事にされてない」と感じたりするのです。

ですから、「部屋を片付けてほしい」と提案し、最終的に片付けるかどうかは「子どもの課題」ではあるけれど、「一緒に考えよう」と「共同の課題」を設定するのです。

この「共同の課題」を設定することが、人間関係に悩む人にとっての最終解決策であり、とても大切なポイントです。

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