『相棒』ただの刑事ドラマを超えた円熟の魅力 杉下右京の「やさしさ」と登場人物の「その後」
甲斐享は3代目の相棒。右京が将来性を見込んで自ら特命係にスカウトしたという経緯があった。だがその若さゆえに、ありあまる正義感が暴走し、法の裁きを免れ、のうのうと生きている犯罪者に自ら隠れて制裁を加えていたことが発覚。最後は右京に逮捕されて警察を去ることになる。この結末は、当時『相棒』ファンにとっても予想外でショッキングなものだった。
それから時は流れ、今回の元日スペシャルで動きがあった。恋人でパートナーだった笛吹悦子(真飛聖)とのあいだに誕生した息子・結平(森優理斗)が登場。その結平が主演する学芸会の舞台上で殺人事件が起こり、観覧に来ていた右京と薫が捜査に乗り出す。いままでその存在だけが知らされていた享の兄(新納慎也)も初お目見えした。
ただし、今回甲斐享本人は登場しなかった。しかし、不在のなかにも彼をめぐる物語が再び動き始めたという感触が強く残った。
そのことに関連して、第16話「子ほめ」での右京の言葉も思い出される。
この回は、season1の第3話で罪を犯して捕まった落語家(小宮孝泰)が再登場した。刑に服し終え、落語家として再起を図ろうとする彼は運悪く事件に巻き込まれるが、紆余曲折の末に高座に復帰する。
その姿を客席から見つめる右京と薫。そして右京がこう言う。「犯した罪にのみ込まれてしまう者もいれば、再び立ち上がれる者もいる」。この言葉は、甲斐享への励ましとも思えた。
また第14話「亀裂」では、右京が犯人に向かって「真の愛情とは、手放すことではないですか?」と語りかける。これもまた、享に対する右京の複雑な思いを物語る言葉のように受け取れる。
そして同時に、途中で海外ボランティアに身を投じ、特命係から離れた亀山薫についてのことでもあるだろう。そして薫は、再び右京の元に戻ってきた。甲斐享は果たしてどうなるのだろうか?
キャラクターの宝庫としての『相棒』
2000年にスタートした『相棒』は、このseason22で24年目を迎えた。かつてに比べ簡単には視聴率を取れなくなった時代だが、『相棒』はいまだに世帯視聴率2ケタをキープする稀有なドラマだ。21世紀を代表する作品のひとつであることは間違いない。
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