高校中退「元不良」がマレーシアを選んだ理由 共存の仕方がうまく外国人は居心地がいい

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中村芙美子さんは、2011年12月、夫と3人の幼い子どもと共に日本からクアラルンプール郊外に移り住んだ。東日本大震災をきっかけにして、海外移住を調べ始めた。

どうしてマレーシアに移住しようと考えたのか

青森県で過ごした高校時代は「不良」と言われた。「高校は2回辞めています。無断で寮を出て夜遊びしているのが見つかったのが原因でした。ストリートカルチャーに出会い、遊びに夢中になり学校に行きたくないと親に言ったら、高校だけは出ておけと言われました」

両親は、日本が合わないなら海外へ、とカナダの高校に留学させてくれ、最終的に卒業できた。

そのカナダでの経験が中村さんの意識を変えた。英語が身についただけではなく、さまざまな人と会った。なかでも、外国人と家をシェアして住んだことで、「いろいろなことがどうでも良くなる」経験をした。また、単位制の高校で、自分のペースで勉強できる上、授業の進め方がシンプルで、面白くなった。

「でも、同時に親の財力に感謝しました。失敗してもやり直せるのは、日本の豊かさだと思います。本当は、失敗が許されない国も多いと想像しています」

カナダの高校を卒業してからは帰国して上京。専門学校を経て、たまたま近くにあった宝石店で勤め始めた。その後、宝石を勉強するためタイの学校へ行き、資格を取る。2005年に結婚し、3人の子どもに恵まれた。

移住当時の子どもたちは、5歳、3歳、1歳。英語とコンピュータを覚えてほしいと思っていた。「私自身、高校で留学することができ非常に感謝しています。でも、一方で自分の英語が中途半端だとも感じていました。会話は問題ないのですが、英語を母国語のように使うことはできませんし、文書にするなどアウトプットが弱い。そして英語とコンピュータはとても相性がいい。どこかの段階で子どもは外国で育てたいと考えていましたが、震災をきっかけに行動しました」。

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