また、JWLはNPBのドラフト後の11月末に始まる。NPBに行きたいという選手たちがいたとしても、翌年のドラフトまで待たなければならない。その間は、独立リーグやクラブチームなどでプレーをすることが前提になる。JWLで活躍をしたとしても、NPBやMLBへとステップアップする道は、かなり遠いのだ。
「野球で生きていく」の概念が変わる
しかしながら、JWLの設立以前から約2年、この取り組みを見てきて、筆者はそうしたエリートコースとは別の「野球で生きていく」可能性の広がりを感じている。
このリーグを運営する鷲崎一誠氏は慶應義塾大野球部の選手だったが、卒業前にアメリカのウィンターリーグであるカリフォルニアリーグに参加し、貴重な経験をするとともに、チームメイトなど多くの友人を得た。鷲崎氏はユニクロに入社するも、「ウィンターリーグを日本で始める」と言う夢を実現するために会社を辞めて起業した。
またJWLのゲームコーディネーターの坂梨広幸氏は大学を卒業後、オーストリアにわたって野球チームに入り、今では野球のオーストリア代表チームの監督として国際大会で采配を振るっている。
さらにJWLのアンバサダーをつとめる元メジャーリーガーのマック鈴木氏は、単身アメリカにわたってマイナーリーグからスタートしてMLBまで這い上がったが、学校や組織の力を借りず、自分自身の「野球力」で世渡りをしてきた。マック鈴木氏は自身の経験を紹介し、JWLに参加する選手たちに声援を送っている。
今年のJWLからは、20人を超す選手が社会人野球や独立リーグなどとの契約を勝ち取った。それだけでなく、トレーナーやゲームコーディネーターなども社会人野球やCPBL(台湾プロ野球)などと契約をしている。
花巻東の強打者だった佐々木麟太郎が、NPBのドラフト指名を受けることなく渡米し、スタンフォード大学に入学したことは耳新しいニュースだが、国際化、ボーダレス化の進展とともに「野球で生きていく」の概念は大きく変わりつつある。
野球は、世界ではまだまだマイナースポーツだが、とくにヨーロッパやアジアでは、新しいリーグが創設されるなど、少しずつ人々に受け入れられつつあるのだ。
昨年12月24日のJWL最終日、約1カ月間、ともにプレーした選手たちは、国籍やキャリア、年齢の壁を超えてチームメイトとしての友情を深めた。こうした人間的なつながりができることも、JWLの大きな魅力だといえる。多様な世界で「野球で生きていく」若者たちの前途に大きな希望を抱いた。
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