藤田さんが「国際的な仕事をしたい」と思ったのは早く、小学生の頃だった。
「大きなきっかけがあったとかではないのですが、なんとなく小学生の頃から興味があったんです。英語ができるとカッコイイなと思ってました」
「英語で仕事をする」ということに、なんとなく憧れていたという。
「職人の父の背中」を見て育つ
「父は、脳性麻痺などで身体が不自由な人のために椅子や車いすを造る職人なんですが、自営業なのに、経営は二の次、みたいな感じで。母が幼稚園の先生をやっていたので、それで一家の生活は支えられてましたね」
町田にある自宅近くに工房を構え、黙々と車いすなどを仕上げる父を見て育った。
手造りの椅子や車いすは、使う相手に合わせて繰り返し調整が必要で、月に1~2台仕上げるのがやっと。当然、儲けはほとんど出ない。
使う人や支える家族のためにと工夫すればするほど費用がかさんでしまうが、相手のことを考えると最小限しか請求できない。曰くボランティアみたいなものだったという。
国際的な仕事はもとより、今現在、カンボジアでほぼボランティアのような形で小児がんの子どもたちを救う仕事をしているのには、こういった原風景が背景にあるのも関係しているだろう。
「お金はたいして儲からなくても、父もすごく楽しそうに仕事をしていて。そういうところに本当に自分のやりたい仕事、やりがいみたいなものがあるんだろうなって、知らず知らずに学んでいたというか。振り返ってみて、そう思いますね」
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