「GDP4位転落」日本に数学嫌い克服が必要な理由 「何の役に立つのかわからない」というイメージ

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筆者については、小学生時代の以下の3つの経験が「引き出し」であった。4×4の枡目の中で1~15が書いてある15個のピースを動かして遊ぶスライドパズル(15ゲーム)で、友人が”ズル”をして完成しないものを「できた!」と言ったこと。3桁×3桁の筆算で、繰り上がりの意味が分からないまま試験を受けて0点をとったこと。2、3、5、7、11、13、・・・という素数が無限個存在する(ユークリッドの背理法による)証明を友人から教えてもらったこと。

また中学生の頃から、「安心感」という気持ちから「数学」に興味が集中した。その訳は、恥ずかしい気持ちがあって明らかにしてこなかったが、ここで初めて述べよう。

数学がもたらす「安心感」

どんなに小さい物質でも、適当な倍率に拡大すると、手のひらサイズになるはずである。そして、手のひらに収まっているもののごく一部分の小さい部分をとっても、適当な倍率に拡大すると、手のひらサイズになるはずである。

この議論は際限なく繰り返し行うことができるので、物質の最小限については夜眠れないほど不思議になる。現在では、素粒子に関する研究が大切だと素人ながら思うが、中学生の頃に考えていた上記のことと、その頃に学んだ次の数学の公理を比べて、数学に逃避するような「安心感」をもったのである。

アルキメデスの公理 任意の正の実数a、bに対し、na>bとなる自然数nが存在する。

数学好きになった人の中には、数学がもたらす「安心感」に憧れたことがきっかけであった人も意外と多くいる。ベトナム戦争が激しかった頃、戦争に矛盾を感じたことがきっかけで数学好きになった人の紹介が新聞に載っていたことを思い出す。

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