「GDP4位転落」日本に数学嫌い克服が必要な理由 「何の役に立つのかわからない」というイメージ
その80年代から90年代にかけて日本では反対に、「(技術立国として)経済成長を遂げた日本は、これからは文化だ」という発言が大手を振って歩き、「ゆとり教育」に突入したことは残念でならない。
「ゆとり教育」での数学授業時間
1998年の学習指導要領改訂でその骨組みが定められ、数学を中心に教育内容や授業時間数を3割削減するなどの目標が設けられた。ちなみに、その時代の中学校での数学授業時間数は1年、2年、3年とも週3時間で、これは世界でも最低レベルである。
驚いたのは、その3割削減した内容が、当初は「ゆとり教育」の「上限」であったことである。90年代後半には、数学の授業時間数が今後減ることで、いくつかの県では高校の数学教員がゼロ採用になったばかりでなく、「数学の教員はもはや役に立たない。教員室でのあなたの机はない。家庭科の教員免許を取ったら残してあげる」、などと校長から肩叩きされた優秀な数学教員が何人もいたのである。
このような状況を「日本版文化大革命」と捉えた筆者は、その流れを改めさせるために軸足を数学教育に移し、行動を起こした。著書・雑誌・新聞などの活字によって数学の意義を訴えたほか、「数学嫌い」を減らすことが重要と考えて、90年代後半からは全国の小中高校に数学の面白さを伝える出前授業も積極的に開始した(半分は手弁当)。
筆者は、45年間に渡って10の大学で約1万5000人の大学生に数学を教えるのと並行して、全国の小中高校の出前授業でも約1万5000人の生徒に数学小噺をしてきたが、数学の「好き・嫌い」と「得意・不得意」は必ずしも一致しないものの、「好きこそものの上手なれ」という諺は適当であると悟っている。
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