窮地の国産「和紙原料」から誕生した菓子の正体 お菓子とお茶で地元産の楮(こうぞ)を支援

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小川町飯田にある楮畑で、やはり1月28日、楮の刈り取りが行われた。集まったのは、アメリカ人の版画家で和紙アーティスト、故リチャード・フレイビンさんの遺志を継ぐ人々と、小川町里山クラブ“You-You”(佐藤章会長)のメンバーら計15人。

故フレイビンさんが作った楮畑で今年も刈り取り作業が行われた(撮影:河野博子)

フレイビンさんは30年ほど前に佐藤会長の畑を借りて楮の株を植え、里山クラブのメンバーの助けを借りて楮作りを行った。2020年5月に76歳で逝去。妻のテキスタイルデザイナー、原口良子さんは、「フレイビンは、版画に使う和紙に興味を持ち、感動して和紙の生産地を訪ね歩きました。小川町に移住し、小川町和紙体験学習センターに通って勉強しました。そして、自分で作った和紙で版画をやりたいと、楮作りを始めたのです」と話した。

手すき和紙の魅力を「植物がそのまま生きている」と語っていたフレイビンさんの遺志を継ぎ、書道家の宍戸幸司さんや和紙研究家のカナダ人、ポール・デンホードさんらが毎年、ここで楮を刈り取り、和紙を作り続けている。

里山クラブのメンバーも引き続き、ボランティアで夏の芽かき、冬の刈り取り作業を手伝う。佐藤会長は「小川町は和紙の里というけど、材料の楮を作る畑がほとんどない、とフレイビンに言われたことが、すべての始まりでした」とあいさつし、楮を作り始めたフレイビンさんをたたえた。

細川紙技術者協会の研修員、細川紙の未来を「どうにかしなきゃ」

細川紙技術者協会では、7人の研修員が技術を学んでいる。和紙を取り巻く状況は厳しいようだ。

中野晴実さんは、「いまはペーパーレスの時代。こだわりがある人は和紙を買ってくれるけど、昔のように障子紙に使ったり、ふすまの下張りに使ったりなど、建築の際に使われることが少なくなってきている。そういう用途が少なくなってきているのも、難しさの一つ」と語った。

確かに、私が育った昭和の時代には、身近に障子やふすまがあった。今、マンションの我が家には、ふすまも障子もない。こうした需要の動向は、当然、和紙産業全体に影響する。

一方、手すき和紙の産地の中には、壁紙や内装に使うための和紙を開発する動きもあるそうだ。中野さんは、「もしかしたら、今まで気づいていない分野で新たな使い道があるかも」と話す。内田茜さんは、「私たちは気持ちだけは明るい。どうにかしなきゃ、という気持ちは皆もっているので、チャンスはあるのかな」と応じ、2人の研修員は笑顔を見せた。

河野 博子 ジャーナリスト

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こうの ひろこ / Hiroko Kono

早稲田大学政治経済学部卒、アメリカ・コーネル大学で修士号(国際開発論)取得。1979年に読売新聞社に入り、社会部次長、ニューヨーク支局長を経て2005年から編集委員。2018年2月退社。地球環境戦略研究機関シニアフェロー。著書に『アメリカの原理主義』(集英社新書)、『里地里山エネルギー』(中公新書ラクレ)など。2021年4月から大正大学客員教授。

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