「敵に塩を送る」行為が"メリット"に働く意外な訳 大学受験を目前に控えた高校3年で学んだこと

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天変地異が起こっても略奪行為はしないとか、電車やエレベーターに乗るときは整列して待つなど、日本人は世界に類がないほど「道」を守っていると思いますが、「徳」については、圧倒的に勉強が足りていないと感じています。

日本ほど、大金持ちが寄付をしない国はほかになく、政治家が平気でウソをつく国も珍しいと思います。「この人のようになりたい」と思えるような政治家や経営者がいないことも、徳のなさの現れといえるのではないでしょうか。

これまでの道徳教育というのは、「道」ばかりに重点を置いてきましたが、これからは自分で意識して「徳」を学んでいく姿勢が大事だと思います。自分の在り方を考えることは、美学を持つことにもつながり、優しい人に一歩近づけることになります。

ライバルに優しくしたら負け?

出世競争をしているビジネスマンや、大学や高校の受験生には、「ライバルに親切にしたり、優しくしたら負け」と考えている人がたくさんいますが、たとえ競争関係にある相手でも、人には優しくしたほうが、目標を達成しやすくなります。

日本人には、「敵に塩を送る」(ライバルの弱みにつけ込まず、その苦境から救おうとする行為)を極端に気嫌いする人がいますが、どんな場合であっても、人に優しくしたほうが、いい結果が出るものです。

私がそれを学んだのは、大学受験を目前に控えた高校3年のときです。

私は兵庫・神戸市にある灘高に通っていたのですが、当時の灘高は東大合格者数で全国トップを走っており、世間から、「灘高生は性格が悪い」などと言われていたような時代です。

性格が悪いかどうかはわかりませんが、同級生の多くは同じ東大を目指すライバルですから、お互いが競争心を持っていたことは間違いありません。

高校1~2年生の頃はいじめもケンカも多くありましたが、受験まで1年を切った高校3年生になると、不思議なほど、みんなが仲良くなったのです。

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