「1日15時間くらい勉強しました。志望校がどこというよりは、狙えるだけ上を狙おうと思っていました。このころ、自分の興味と性質を考えて物理学者になろうという夢ができたので、そのためにも、できるだけ上の大学で勉強をしたいと考えていたんです」
「学問を突き詰めていくと見える世界を知りたかった」と語る西山さんは、この1年の追い込みで、偏差値を前年度の52~53から63~65と、大きく上昇させます。センター試験(現:共通テスト)も790/900点と点数を大きく上げ、第一志望に設定していた大阪大学工学部に出願しました。模試ではC判定も出ており、勝負できるかもしれないと思っての挑戦。
しかし現役時に続いて、またもや不運が襲い、本番の試験で実力を発揮できませんでした。
「阪大の試験前にトイレに行きたいと思ったんですが、混んでいたから並ぶのをやめたんです。我慢できるかなと思っていたんですが、試験中にすごく行きたくなってしまって……集中できずに落ちてしまいました」
後期で受けた広島大学、滑り止めで受けた明治大学と中央大学には合格した西山さん。しかし、それらを辞退してもう1年の挑戦を決意します。
ノーベル賞が取りたくて、京大を目指す
「自分の失敗で阪大に落ちたことが悔しかったですし、もう1年やったら京大の理学部にも行けるかもしれないと思ったんです。将来研究でノーベル賞を取るなら、やっぱり京大に行きたいという思いがありました。周囲には(合格しているのに)もったいないと言われましたが、幸い母親は『あんたが満足いくまで勉強しなさい』と言ってくれました」
過去に湯川秀樹氏や朝永振一郎氏をはじめ、ノーベル物理学賞の受賞者を輩出している京都大学。まだ自分の力は伸びると信じ、最高の環境で自分の力を高めることを目標にしていた西山さんにとっては、再度の浪人もどんとこい、という姿勢でした。
彼は自分が現役時代・1浪目に落ちた理由を「勉強方法がわからなかったから」と分析します。
「当時はまだ受験指導の多くが根性論だったので、何をどのようにして勉強をしていいかわからなかったんです。だから自分で和田秀樹さんの著書を読みながら勉強法のノウハウを吸収して勉強しました」
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