取材と啓蒙活動を続けるなかで感じるのが、虐待する親もしたくてしているわけではないということです。追い詰められた結果、虐待してしまったり、自分が子どものころにされていたことが虐待だと気づかず同じように自分の子どもにも繰り返してしまったり。適切な情報が身近にあれば、助けられることもあると思うのです。
まったく他人事ではない
『親といるとなぜか苦しい』を読んだことで、「親を客観視する」ことの大事さを知りました。大人になっても親にされたことで苦しみ続ける人はたくさんいると思います。生物学的につながった親だから精神的な絆があって当たり前、親はつねに正しく間違ったことなどしない、怒りや体罰を受けるのは子である私が悪いからだ……といった「親からかけられてしまった呪い」を再生産してしまうと、虐待につながってしまう。児童虐待はまったく別世界のひとごとではないのです。
『親といるとなぜか苦しい』の文中には、「だれも親を憎みたいわけでも、攻撃したいわけでもない。たとえ適切に愛されなかったとしても、そうなってしまった納得のいく理由を見つけ出すことで、親を憎まないでいいようになりたいだけ」とあります。まさにそう。親の問題点を客観視できるようになれば自分が悪いのだと責めることがなくなり、自分の感情は尊重されるべきものだと考え自分を大切にする一歩を踏み出せるかもしれません。「刷り込み」の重荷から解放され自分の感情を軽視しない人が増えることは、次の世代の幸せにつながる気がしています。
(構成:中原美絵子)
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